2006-01-01から1年間の記事一覧

FC2ブログ、登録100万サイトを突破

〔2006.11.01記・11.22追記〕 2004年10月に運用を開始した FC2ブログはブログ界では最後発ともいえますが、この 10月28日に登録サイトが100万を突破したようです。私が FC2ブログユーザーになったのは昨年の 1月26日。これでも FC2ブログでは早い方(サイト…

「内語」「内言・思考言語」の再規定

〔2006.10.23記〕 「ソシュール言語学には個別概念が存在している?」(2006.09.09)で書いたように、いわゆる「思考言語」(内言語)は言語規範としてのラングではない。それは 個別概念⇔語音像 という連合が時間的・一次元的に連鎖したものであって「シーニュ*…

〔メモ〕ラングの特殊性とパロールの普遍性――個別概念

〔2006.10.18記・10.19修正/追記〕 ラングが社会的であるのと同様にパロールは社会的である。そして、パロールが個人的であるのと同じ地平においてラングも個人的である。エクリチュールもまた同様に、社会的であると同時に個人的なものである。それは個人の…

古田武彦の仮説

〔2006.10.17記〕 以前古田武彦をご紹介したときに、『自由のための「不定期便」』(たっちゃん) に古代史に関する古田の仮説についてまとめたもの――「天皇制の基盤を撃つ―真説・古代史」――があることを書きました。しかし、古代史関係以外にもかなりの数の記…

『一般言語学第三回講義』を読んでいる

〔2006.10.17記〕 第一部は、ソシュール以前の言語学についての冒頭部の粗描を除けば、 あとは主として諸社会における言語――言語音・語音という側面から見た――の時間的・空間的(地理的)な変化についての考察である。ここでは比較言語学を修め、諸言語にわ…

ソシュール『一般言語学第三回講義』を読み始めた

〔2006.10.15記〕 ようやく『一般言語学第三回講義』が届いた。まだ第一部を読んでいるところ。ソシュールの講義を聴講した学生コンスタンタンのノートをかなり忠実に再現したもののようなので、構成が整っているとはいいがたいし、記述が断片的なのは仕方が…

ソシュールのいう「価値」(雑文)

〔2006.10.05記〕 ソシュールのいう「価値 valeur」のことを考えていた。というより『一般言語学講義』第II編「共時言語学」第3章「同一性、実在、価値」と第4章「言語価値」を読み返しているのであるが…。もともと私の頭は抽象的な思考向きにはできていな…

表現・受容過程と販売・購買過程のアナロジー

〔2006.10.01記〕 前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後…

貨幣の使用価値

〔2006.09.30記・同日追記〕 本筋ではないが、秀さんが 「意義」と「価値」−−語の意味 (2006年09月29日) の中で「貨幣そのものに使用価値がな」いと書いておられたので、前稿において私は注記の形で「貨幣はいつでもどこでも他の商品と交換できるという使用…

ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」

〔2006.09.29記・9.30修正〕 秀さんが 「意義」と「価値」−−語の意味 (2006年09月29日) というエントリーでソシュールのいう語の「意義」と「価値」について書いている。 『一般言語学講義』(p.162)でソシュールが「フランス語の mouton と英語の sheep とは…

言語音・言語音像・音韻についての覚書

〔2006.09.26記・09.27一部修正・追加〕 人間の口から発せられる音声には言葉の音声とそうでないものとがある。このうち言葉の音声は言語音と呼ばれる。また単語を表わすひとまとまりの言語音を語音という。ところで、耳から入ってくる音は言語音に限られる…

個別概念を運用する手がかりとしての語音像

〔2006.09.24記〕 人間の思考・認識の対象には現実的なものもあれば想像的なものもあり、意識とは別個の存在であったり意識そのものであったりもする。それら個々の対象は多様であり多様な現われ方をするものであるが、何を対象とするにせよ人間の思考・認識…

人間の思考・認識は個別概念を介して行われる

〔2006.09.19記〕 「概念は『言語』に先立つ(4)」(2006/09/06)において、私は「概念とは、ある対象を〈一定の種類に属するもの〉として把握した認識である。いいかえると、個々の対象から〈ある一定範囲の対象に共通するある一定範囲の属性〉を抽出して形成…

〈対象→意識→表現〉過程における認識の発展

〔2006.09.14記〕 自分が書いたことを確認するために以前の稿を読み返していた。「認識・意識が言語にとらわれるということの意味」(2006/08/18) の次のところ(下に引用した部分)を読みながら、以前「ことば掲示板」で秀さんとソシュールについてやりとり…

マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるのか(3)

〔2006.09.13記〕 正負の量の定義(負の量とは正の量と反対の性質を持つ量である)は、「負の運動とは正の運動と反対方向への運動である」とか「負の働きとは正の働きと反対の働きである」といった形で運動や働き・操作…などにも拡張される(たとえば「前進…

マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるのか(2)

〔2006.09.28追記〕 テーブル・タグを使ったタイルの表示がうまくいかないようです。この稿については FC2ブログの「マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるのか(2)」をご覧ください。 〔2006.09.12記・09.13一部修正/追記〕 さて正負の数の乗法であるが…

マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるのか(1)

〔2006.09.28追記〕 テーブル・タグを使ったタイルの表示がうまくいかないようです。この稿については FC2ブログの「マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるのか(1)」をご覧ください。 〔2006.09.11記] 塾などというものをやっているせいか、「マイナスか…

ソシュール言語学には個別概念が存在している?

〔2006.09.09記・同日一部修正/追記・09.14追記〕 前稿「個別概念の介在する表現⇒受容過程」(2006/09/08)を書きながら私は『一般言語学講義』のあの有名な箇所(第II編第4章§1)を思い浮かべていた。ソシュールの後継者たちは、その部分を引用して「人間は…

個別概念の介在する表現⇒受容過程

〔特006.09.08記・同日表記変更・09.09追記〕 ネットで検索していて偶然「言語論的世界観と近代科学」というページを見つけた。「シニフィエ」についての説明はおかしいが、ソシュール言語学がどんなものかについての説明が簡潔にまとめられている。 しかし…

概念というものの性格

〔2006.09.07記〕 概念について、これまでに自分のWebページ(ホームページ)やこのブログに書いてきたことをまとめておく。おおよそつぎのようなものである(新たに詳述した部分もある)。概念という語の定義(語義)については前稿「概念は『言語』に先…

概念は「言語」に先立つ(4)

〔2006.09.06記〕 概念という語の概念について、私と認識を異にする方が多いのに驚いている。それだけソシュールの影響が大きいということだろう。しかし、ソシュールが規定する以前から概念という言葉は存在しており、語と結びついているかどうかは概念の必…

ソシュール用語の再規定(暫定)

〔2006.09.03記〕 「ソシュール用語を再規定する試み(1), (2)」で、言語過程説の立場からソシュールの用語を再規定することを試みた。まだ検討が不十分なところもあるだろうが、整理してまとめておく。 シニフィアン→語韻:音韻は実際に発声された言語音の知…

ソシュール用語を再規定する試み(2)

〔2006.09.02記・同日追記・09.03修正〕 「言語学の用語についての実験的試み」(2006.08.29)(「ソシュール用語を再規定する試み(1)」にタイトルを変更しました) に対してオータムさんから啓発されるコメントを戴いきました。そのコメント及びそれに対する…

ソシュール用語を再規定する試み(1)

〔2006.08.29記〕 「言語langue」や「記号signe」(=「シーニュ」)、あるいは「シニフィアンsignifiant」・「シニフィエsignifie」という言葉はいずれも人間の意識の中に存在するものの名称である。しかし原語(フランス語)をそのまま日本語で表記すると…

個別概念そして普遍概念・特殊概念

〔2006.08.28記〕 前稿では個別概念という言葉と普遍概念という言葉とを何の説明もなしに用いた。これらと特殊概念という言葉とは構造的なつながりがある。特殊概念と普遍概念についてはかつて「ことば・認識についての覚書」の「7. 概念の階層」の「特殊概…

概念は「言語」に先立つ(3)

〔2006.08.27記・08.28修正/追記〕 ちょっとばかり理屈っぽくなるが今日は数学「的」な説明をしてみたい。 「言語langue」(言語規範の一部)は個人の認識として存在している。そこで、ある個人の意識のうちに存在する「言語」を構成している「シーニュ」の…

概念は「言語」に先立つ(2)

〔2006.08.24記〕 「鏡像における左右反転という現象について」(2006/08/23)へのコメントで、その稿の内容の中に「概念が言語に先立つ」という私の主張に対する反証があるのではないかという指摘を tpkn(敬称略)が寄せてくれた。 コメント:2006/08/23 東…

鏡像における左右反転という現象について

〔2006.08.23記・08.24追記〕 『自由のための「不定期便」』というブログで「鏡の中の世界」という記事を読んだ。このブログでもたっちゃん(敬称略)が三浦つとむの観念的自己分裂について書いておられる。しかし、このエントリーは観念的自己分裂とは無関…

他者を鏡とするということ

〔2006.08.19記・08.22注記〕 「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」「他山の石」のようなことわざや故事、あるいは「人をもって亀鑑(かがみ)となす」といった表現の存在は人間が他者の姿や行動をわが身にあてはめて自己を反省する動物であることを示してい…

概念は「言語」に先立つ(1)

〔2006.08.18記および転載・08.22語句修正〕 「言語」の介在しない概念(2006/07/26)に関して建築屋さんから下のようなコメント(挨拶部分を省略)を戴きました。それについて『濫觴(らんしょう』掲示板で回答をさし上げた(2006/08/03)のですが、このブロ…