2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

類的存在としての人間の意識

何か書こうと思っているのですが今は考える時間も書く時間もありません。以前書いたまま放置してある稿がありましたのでちょっと中途半端ですがお目汚しに。 〔2006.02.14記・2006.07.31追記〕 「人間が肉体的で、自然力のある、生きた、現実的で感性的で対…

概念の獲得

〔2006.07.28記〕 概念はまずある個物の知覚として私の意識の中に生じる。それは他の多くの個物との間にさまざまな関係を持った具体的な個物の知覚である。個物を取り巻くそれらさまざまな関係を反省するとき、私の意識はそれらの関係をその個物固有の性質・…

配色を変更しました

当ブログの背景色が暗くて見づらいというご指摘がありましたので、背景色、フォントの色等の配色を全面的に見直し、明るい背景のものにしました。配色以外のコンテンツの配置等には変更はありません。

人間の認識は徹頭徹尾概念的である

〔2006.07.26記〕 人間は対象を抽象的・一般的な形態で認識する。 人間の認知・認識は感覚→知覚→表象→(純粋)概念の順に抽象化・一般化の程度が上がっていく。しかし、感覚でさえすでに現実の対象から選択的に情報をとらえている。そこではある程度の情報が捨…

言語学の対象と言語過程説

〔2006.07.23記・07.24修正・07.26参照リンク追加〕 言語学――三浦つとむの規定する言語学(私が言語学であると認識している言語学)――とは一体何を対象とする学であるのか。 言語学が考察・研究の対象とするのは表現されたものとしての言語つまり言葉である…

「言語」の介在しない概念

〔2006.07.26記〕 言語規範が介在しない概念について考えてみたい。ソシュールはそのような概念は存在しないと考えていたらしい。そうでなければ「思想は,それだけ取ってみると,星雲のようなものであって,そのなかでは必然的に区切られているものは一つも…

誤読「言語の法典を利用するさいの結合」

〔2006.07.25記〕 「ソシュールの「言語」(3) 」(2006/07/16)は小林英夫訳『一般言語学講義』の中の「言語」はすべて「記号の体系」である、と私が思い込んでいたことから始まる誤読の話であった。つまり「言語」と表記されているものの中には「思考言語」と…

脱「言語」宣言

〔2006.07.23記・07.25一部削除〕 「言語」という言葉はソシュール以来非常にまぎらわしい術語になってしまった。「表現されたものが言語だ」といくら主張してみても、ソシュール的な意味の言語(langue)が氾濫している中(実際は両者および言語活動全体とが…

温度はたし算・引き算できないか(2)

〔2006.7.21記〕 「温度はたし算・引き算できないか(1)」(2006年7月19日の稿)に bluesy-k さんから次のようなコメントを頂いた。短い文章だがいくつかの重要な示唆がこのコメントには含まれていると思うのであらためて私の考えをまとめてみた(bluesy-k さん…

ブラインド・タッチと OEA配列

〔2006.07.20記〕 白状するが、実は一年前までブラインド・タッチができなかった。全くできなかったわけではない。ゆっくりやればできるのである。キー配列を覚えてブラインド・タッチを練習したのが olivetti のレッテラ・ブラックという電動タイプライター…

Google検索の電卓機能と温度計算

〔2006.07.20記〕 前稿「温度はたし算・引き算できないか」に頂いた manjuphobiaさんのコメント冒頭に「Google先生に聞いてみたが「37℃ + 37℃ = 347.15℃」であるそうだ」という前置きがある。これは Google検索の電卓機能で計算させた結果をいっているのだ…

温度はたし算・引き算できないか(1)

〔2006.07.19記〕 「極東ブログ」(finalventさん)の「3+2×4をどう読む?」というエントリーで「野崎先生の監修の本では、37℃+37℃は?という例もあった。とんちのようだが、重要な問いではある。」という部分に関して 「37℃+37℃は」に関しては…

日本語のプログラミング言語「なでしこ」

〔2006.07.18記〕 「極東ブログ」(finalventさん)というブログで「なでしこ」という日本語プログラミング言語(インタープリタ)があることを知った。最近はプログラミングなんて全然していないので敷居が高かったのだが(どうしてもしなければならないとい…

ソシュールの「言語」(3)

〔2006.07.16記・同日追記・2006.07.25追記〕 小林英夫訳の『一般言語学講義』には冒頭の「訳者のはしがき」に続いて小林による「解説」が載っている。その中で小林は「ソシュール理論に不案内な初心者には、要点を説明しておくほうが有益であろう」として6…

「言語」・「ことば」の語義

〔2006.07.15.記〕 いまさらながらであるが、「言語」・「ことば」とはなんであろうか。私の認識を述べる前に手もとにある辞書からその語義(意義)を調べてみよう(偏った選択であることは承知の上で)。なお、用例は省いた。 CD−ROM版『広辞苑第四版…

誤読でした

〔2006.07.13記〕 『一般言語学講義』第II編第4章「言語価値」§1「音的資料へと組織された思想としての言語」についての私の解釈は基本的に誤読であったことを表明しておきます。詳しいことはいずれ書きます。

言語表現における概念の二重性と二種類の概念

〔2006.07.12記〕 現実・非現実におけるある対象をある人間(認識主体)が認識し、意識の内部で客体化したその認識内容や思考内容(観念ないし個別概念)を認識主体が言語として表現する場合には、それらの個別概念は言語規範に媒介されて二重化しており、ま…

ソシュールの「言語」(2)

〔2006.07.10記〕 秀さんと私との間で理解が分かれた「言語が現われないうち」あるいは「言語の出現以前」という『一般言語学講義』にあるソシュールの表現について、その表現のある文とその前後の文章とをあらためて読んでみると私の理解もずれていたようだ…

北朝鮮・ミサイル試射実験

〔2006.07.09記〕 北朝鮮が行なったミサイル試射実験についてマスコミの論調や政府関係者の言動に違和感を感じている。それほど大騒ぎするほどのことなのか。むしろ米国産牛肉の輸入再開の危険性や次期首相候補 No.1 の安倍晋三氏が統一教会ダミー団体である…

ソシュールの「言語」(1)

〔2006.70.09記・同日追記〕 昨日トラックバックいただいた「ソシュールの言葉に対する解釈」(2006年07月08日)において秀さんは『一般言語学講義』から引用したソシュールの言葉に対する解釈が秀さんと私とでは異なるということを述べ、秀さんご自身が誤読し…

〔弁・抜〕先天主義

エンゲルス『反デューリング論』「第一篇 哲学 3 分類。先天主義」から ……思考のあらゆる分野で起こることであるが、現実の世界から抽象された諸法則が一定の発展段階に達すると、それは現実の世界から分離されて、なにか自立的なものとして、外からやって…

ちょっと反省/イデオロギー

〔2006.07.08記〕 秀さんのブログの記事はいろいろな意味で私の脳髄に刺戟を与えてくれる。このところの「唯物論と観念論」がらみのものは秀さんの規定する唯物論が今ひとつはっきりしないのでなんとなく歯切れが悪い。秀さんは論理的に筋を通そうとするあま…

認識・思考における概念(観念)について

〔2006.07.07記〕 〔「幼児の頭の中は星雲のようなものか」付記〕 前稿において私は「私は、人間が思考において運用しているのはさまざまな観念や表象であって言語規範はそれらの観念にラベルを貼るための媒介をしていると考えている」と書いた。認識や思考…

幼児の頭の中は星雲のようなものか(修正版)

〔2006.07.07記・修正〕 前稿に書いたように「言語なしの思考」(2006.07.06)に対して秀さんから「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか(2006年07月06日)というトラックバックをいただいている。 それを読んで、思考において人間はシーニュ…

「言語」なしの思考(2)

〔2006.07.06記〕 前稿「言語なしの思考」に対して秀さんからトラックバックをいただいた。それ(『「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか』)についての感想はいずれまたということにして、昨日来秀さんの「言語なしの思考は出来るか」に…

「言語」なしの思考(1)

〔2006.07.05記〕 「言語なしの思考は出来るか」(2006年06月30日)で秀さんは「物質的存在が我々に反映という認識をもたらし、存在の属性として世界を理解すると言うよりも、言語によって世界を切り取って、世界の一部を考察の対象にして理解が進むという方が…

弁証法的なとらえ方

〔2006.07.04記〕 すべてのもの・存在は物質的なものも精神的なものも含めてその端初は「物自体」つまり、即自的な存在である。しかしそれはその内に運動(他のもの・存在と関連すること)を孕んだ存在であり、運動の最中においてはそれはもはや自体的な存在…

〔弁・抜〕人は多かれ少なかれ「観念論者」である

『フォイエルバッハ論』「二 観念論と唯物論」から 人間を動かすものはすべてその頭脳を通過しなければならないということは、どうしても避けることができない。飲み食いでさえそうであって、それは頭脳によって感じられた飢えと渇きにはじまり、同じく頭脳…

〔弁・抜〕物自体――『フォイエルバッハ論』から

『フォイエルバッハ論』「二 観念論と唯物論」から しかし思考と存在との関係という問題は、なおもう一つの側面をもっている。それは、われわれをとりかこんでいる世界についてのわれわれの思想は、この世界そのものとどんな関係にあるのか、われわれの思考…

〔弁・抜〕ディーツゲンの「事物自体」批判

『人間の頭脳活動の本質』「三 事物の本質」から 精神は一般的に、属性から実体へ、相対者から絶対者へ、仮象を越えて真理へ、事物「自体」へ到達しようと努力したが、その努力の結果、 実体は思想によって集められた属性の総計であること、従って、精神或は…