『一般言語学第三回講義』を読んでいる


〔2006.10.17記〕

第一部は、ソシュール以前の言語学についての冒頭部の粗描を除けば、 あとは主として諸社会における言語――言語音・語音という側面から見た――の時間的・空間的(地理的)な変化についての考察である。ここでは比較言語学を修め、諸言語にわたる深い造詣を有していたソシュールの本領が遺憾なく発揮されている。この第一部については首を傾げるところもあるが、多くの部分では異論はない。エクリチュール(書き言葉あるいは書かれた文献)についてのソシュールの敵愾心は比較言語学者としての素朴な本音ではあろうが、書き言葉も言語であり、話し言葉との間で相互に影響しあう関係を保ちながら、そこには密接に関連し補いあう側面と表現形態の相違から来る対立関係とがある、という観点に立てば、三浦が成し遂げたように両者に共通する側面を検討することによって言語そのものの姿が見えてきたであろうと思われる。ソシュールパロールこそが言葉であるといっていたが、ついにそのパロールについての具体的な研究を成し遂げることなく病没してしまった。残念である。

私が読みたかったのは「第二部 言語」である。 はやる心を押えて第一部を読み終えて――といいつつ本を読むのが遅い私にしては、早くということであるが――、ようやく第二部に入った。初めの方の内容は『一般言語学講義』の「序説 第3章」に対応している。しかし、ソシュールの語りは慎重である。用語の定義にもこころ配りが見られる。まだ最初の十数ページしか読んでいないが、これまでに抱いていた私のソシュール像が崩れていくのを感じている。