2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ソシュール用語を再規定する試み(1)

〔2006.08.29記〕 「言語langue」や「記号signe」(=「シーニュ」)、あるいは「シニフィアンsignifiant」・「シニフィエsignifie」という言葉はいずれも人間の意識の中に存在するものの名称である。しかし原語(フランス語)をそのまま日本語で表記すると…

個別概念そして普遍概念・特殊概念

〔2006.08.28記〕 前稿では個別概念という言葉と普遍概念という言葉とを何の説明もなしに用いた。これらと特殊概念という言葉とは構造的なつながりがある。特殊概念と普遍概念についてはかつて「ことば・認識についての覚書」の「7. 概念の階層」の「特殊概…

概念は「言語」に先立つ(3)

〔2006.08.27記・08.28修正/追記〕 ちょっとばかり理屈っぽくなるが今日は数学「的」な説明をしてみたい。 「言語langue」(言語規範の一部)は個人の認識として存在している。そこで、ある個人の意識のうちに存在する「言語」を構成している「シーニュ」の…

概念は「言語」に先立つ(2)

〔2006.08.24記〕 「鏡像における左右反転という現象について」(2006/08/23)へのコメントで、その稿の内容の中に「概念が言語に先立つ」という私の主張に対する反証があるのではないかという指摘を tpkn(敬称略)が寄せてくれた。 コメント:2006/08/23 東…

鏡像における左右反転という現象について

〔2006.08.23記・08.24追記〕 『自由のための「不定期便」』というブログで「鏡の中の世界」という記事を読んだ。このブログでもたっちゃん(敬称略)が三浦つとむの観念的自己分裂について書いておられる。しかし、このエントリーは観念的自己分裂とは無関…

他者を鏡とするということ

〔2006.08.19記・08.22注記〕 「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」「他山の石」のようなことわざや故事、あるいは「人をもって亀鑑(かがみ)となす」といった表現の存在は人間が他者の姿や行動をわが身にあてはめて自己を反省する動物であることを示してい…

概念は「言語」に先立つ(1)

〔2006.08.18記および転載・08.22語句修正〕 「言語」の介在しない概念(2006/07/26)に関して建築屋さんから下のようなコメント(挨拶部分を省略)を戴きました。それについて『濫觴(らんしょう』掲示板で回答をさし上げた(2006/08/03)のですが、このブロ…

認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔2006.08.18記〕 前稿「三浦つとむの認識論・言語論についての私見」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。 コメント:2006/08/18 言語と意識 認識(あるいは意識)が言語に囚われる(捉えられる)ということ…

三浦つとむの認識論・言語論についての私見

〔2006.08.17記〕 三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく意識(対象意識)をも含む広い概念としても用いている。したがって三浦の認識論は意識論をも含んでいる。そして宮田和保がその著『意識と言語』…

言語規範――規範と規範意識

〔2006.08.17記〕 規範とは、その表現が「かくあるべし(あるべからず)・かくすべし(すべからず)」という当為(Sollen)として表わされる他者とのあいだに交わされた約束・取り決め・契約などである。規範は取り決めをなした当事者の意識のうちに対象化(客…

全記事インデックス(カテゴリー別)

〔2006.08.14記・2006.10.01更新〕 ● 言語>言語本質論 (2006.08.18) 認識・意識が言語にとらわれるということの意味 (2006.08.17) 三浦つとむの認識論・言語論についての私見 (2006.07.27) 言語学の対象と言語過程説 [2006.07.23記・07.24修正・07.26参照リ…

認識の発展(対象意識・他者意識・自己意識)

〔2006.08.11記〕 「対象意識と観念的自己分裂」(2006/08/05)において私は対象意識を「意識内部において表象・概念として客体化されたものごとを意識主体が認識しているその意識のあり方」であると考えていると述べた。これと同様に他者意識・自己意識につい…

他者意識・自己意識

〔2006.08.10記・08.16注記〕 前稿「対象意識と観念的自己分裂」(08/05)では人間の意識の一つのあり方である対象意識について取りあげた。ところで人間は初めから対象意識(観念的な世界)を意識のなかにもって生れてくるわけでもないし、人類もまた最初から…

対象意識と観念的自己分裂

〔2006.08.05記・08.16注記〕 人間が「意識する」というとき、意識の内部には意識する主体と意識される客体とが存在している。つまり「表象化・概念化されたものごとを対象・客体として意識している主体」と「主体によって意識される特定のものごとの表象・…

自己意識の契機

〔2006.08.01記・08.17修正〕 人間の意識は外部の世界を映し出す鏡である。認識とはその鏡に映し出された像(客体)である。この意味で認識は対象認識ともよばれる。しかし意識という鏡は単に受動的に対象を映し出すだけのものではない。意識には認識を客体…