2006-01-01から1年間の記事一覧

ClearType Tuner のコントラスト調整

〔2006.12.31記〕 "ClearType Tuner" では ClearType のオン・オフの切り替えもできます。この切り替え結果や変更した Contrast のセッティングなどは直ちにデスクトップに反映されます。したがって、実際にアプリケーションやブラウザ上でフォントがどのよ…

言語と内言――言語の意味

〔2006.12.23記〕 「連辞関係」から「価値」が生まれるというソシュールの主張がどういうものであるかがある程度はっきりしたので(ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」)、以前書いた「内語」「内言・思考言語」の再規定(2006/10/23)という記事への…

ClearType Tuner

〔2006.12.21記・追記〕 メイリオや MeiryoKe のことをさんざん書きながら大事なことを書き忘れていました。 ClearType を有効にしてメイリオなどのフォントを使っている方はたくさんいるようで、画面をキャプチャーした画像をブログに載せているのをよく目…

“langue” と “langage”

〔2006.12.19記・追記〕 ネット検索をしていると、ときに面白いものや思いがけないものに出会うことがある。 昨日見つけたのは「翻訳論の出発点」(山岡洋一)というページである。そこには「資料1フランス語原著の日本語訳と英語訳」として、『一般言語学講…

ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」

〔2006.12.17記〕〔12.22 内容を修正/追記〕 「言語 langue」から「言 parole」も「書 écriture」も切り離したソシュールの「言語」観察においては、言葉の厳密な意味における表現とその受容という視点はありえない。したがってソシュールは言語の表現過程も…

ソシュール「言語学」とは何か(まとめ)

〔2006.12.15記〕 いわゆる「ソシュール言語学」が一般に知られるようになったのは、F. Saussure “Cours de linguistic générale” (Ch. Bally(バイイ), Alb. Sechehaye(セシュエ) 編 1916) によるものだろう。日本における「ソシュール言語学」の流布は小林…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(5)

〔2006.12.12記〕〔12.13追記〕 「時枝誠記の言語過程説」最後の論文を紹介する。 この論文の中で三浦は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)それぞれが互いに観念的自己分裂による追体験を通して直接に互いに他のものになるという現象を「対立物の相互浸透」と…

三浦つとむ「漢字と振り仮名」

〔2006.12.10記〕 三浦つとむの論考は私たちにとってごく身近なものごとを取り上げるときにも、論理的で筋が通っている。そして経験を通して蓄積された普通の人々の直観を裏切らない論理の曇りのなさがその魅力の一つだと私は思う。しかし、その内容は深いの…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)

〔2006.12.10記〕 以下に引用する三浦つとむの論文では観念的自己分裂について言及されている。観念的自己分裂論は言語過程説にとって根本的な柱となる理論であるから詳しくは三浦つとむの著書に当っていただきたい(『日本語はどういう言語か』(講談社学術文…

はランチャー化できる

〔2006.12.09記〕 [クイック起動]を極める(前編)というページを見てタスクバーにある [クイック起動] がシンプルな擬似ランチャーになる(正式にはフローティング・ツールバーというようですが)ことをはじめて知りました。この記事を参考にして、 [クイック起…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

〔2006.12.09記〕 ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2)

〔2006.12.08記〕 引き続き、三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」を紹介する。 「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房 p.186) 本質の追求と方法論の反省 学問の革命に共通してみられる二つの特徴を、われわれは時枝理論にも見出すことができ…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

〔2006.12.08記〕 ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえ…

Rapture 1.3.0

〔2006.12.02記・12.03追記〕 ちょっと便利で使い勝手のよいフリーソフトを見つけました。 デスクトップの任意の範囲を画像としてキャプチャし、それを付箋化(ウィンドウ化)して好きな位置に置いておける。つまり「デスクトップキャプチャ」です。デフォルト…

メイリオ系フォントについて(2)

〔2006.11.30記〕 メイリオ系フォントについて(1)(11/27)で、メイリオの文字の上下にある空隙(特に下部)が他のフォントに比べて大きいということについて書きました。そして、MeiryoKe_Gothic 系もこの空隙が他の通常のフォントよりもやや大きいということも…

ソシュール「言語学」とは何か(7)

〔2006.11.30記〕 メイリオ系フォントについて(1)(11/27)で、メイリオの文字の上下にある空隙(特に下部)が他のフォントに比べて大きいということについて書きました。そして、MeiryoKe_Gothic 系もこの空隙が他の通常のフォントよりもやや大きいということも…

メイリオ系フォントについて(1)

〔2006.11.27記〕 以前『濫觴』に「ブラウザでメイリオを使うと、バックグラウンド・カラー付きの語のバランスが悪い(背景色が文字の上下に拡がってしまう)」ということを書きました。さらに、MeiryoKe_Gothic を生成するパッチが置いてあるmeirを読むと「…

ちょっとボヤいてみる

〔2006.11.25記〕 以下は愚痴である。 ソシュールの講義のような難解な言語に出会うと、つくづく「言語で分節されることによって思想は分明になる」などという御託の虚しさを感じる。いかに語概念⇔語韻の体系を身につけていようともソシュールの言語表現の内…

ソシュール「言語学」とは何か(6)

〔2006.11.24記〕 『ソシュール講義録注解』の 76〜100ページは印欧語の知識がない私には理解するのがむずかしい。その上チェスのように単位(駒)がはじめからはっきりしているものを、その都度単位が発生するとソシュール自身がいっている「言語」の比喩とし…

ソシュール「言語学」とは何か(5)

〔2006.11.23記〕 さて、「そこにあるのは、思考−音が言語学の究極的単位としての諸区分を含んでいるという、どこか神秘的なこの事実である」(『ソシュール講義録注解』(p.59))として「言語」における単位の発生を説明してしまえば、ソシュールにとっては単…

ソシュール「言語学」とは何か(4)

〔2006.11.22記・同日一部修正/追記〕 前稿では「読む気はほとんど失せてしまっている」と書いた『ソシュール講義録』だが、気を取り直して前の方を読み返しつつ少しずつ読み進めている。 前稿に書いたように、ソシュールは「言語」(langue)を実践しつつ「言…

ソシュール「言語学」とは何か(3)

〔2006.11.21記〕 前稿「ソシュール「言語学」とは何か(2)」で書いたようにソシュールの「言語langue」は矛盾した存在である。「言語langue」は時間的・地理的に限定された一定の地域における一つの制度として規定される。それは静的(statique)なものであり…

ソシュール「言語学」とは何か(2)

〔2006.11.20記・11.21一部修正〕 正直言って『ソシュール講義録』を読む気はほとんど失せてしまっている。ソシュール「言語学」とは何か(1)(11.10) に書いたことからも分かるようにソシュールにとって「言語langue」とは外部から遮断され閉じてしまった円環…

WindowsXP のシステム・フォントを変更する

〔2006.11.15記・11.17追記〕〔12.27一部訂正←重要〕 前々稿「WindowsXP とメイリオ・フォント――補足」(2006.11.13) のように「デザインの詳細」で画面表示用のフォントを変更しても MS のアプリやシステム・プログラム等では小さな文字が細めの不格好なフォ…

Firefox 1.50.8

〔2006.11.15記・11.17追記〕〔12.27一部訂正〕 前々稿「WindowsXP とメイリオ・フォント――補足」(2006.11.13) のように「デザインの詳細」で画面表示用のフォントを変更しても MS のアプリやシステム・プログラム等では小さな文字が細めの不格好なフォント…

WindowsXP とメイリオ・フォント――補足

〔2006.11.13記〕 前稿の「WindowsXP とメイリオ・フォント」に対して同じ FC2ブログ『続・何言ってんだおめ?』の「メイリオは嫌いって言いましたけど 」(2006/11/12) というエントリーからトラックバックをいただきました。ところで、このブログのインフォ…

WindowsXP とメイリオ・フォント

〔2006.11.11記・11.13追記・11.20,21・画像追加〕 この稿の話題は、WindowsXP 環境で、かつ液晶ディスプレイを使用している人にしか関係のないものです。つまり、『濫觴(らんしょう)』掲示板の「Re:お久しぶりです。」で取り上げている話題――WindowsXPで…

ソシュール「言語学」とは何か(1)

〔2006.11.10記〕 『ソシュール講義録』はまだ四分の一ほどしか読み進めていない。できる限りソシュールの立場に立って読もうと思っているのだが苦痛の方が先立って読む気が失せるのである。それでも何とか読もうと努力をするのはソシュールの「言語学lingui…

ことばとは何か(2)――時枝誠記の言語観

〔2006.11.06〕 素朴な直観は存外に真理を言い当てているものである。古来、ごく普通の人々が現に話されている言語音声を〈ことば〉あるいは〈言語〉であると考えていたことは、多くの言語において〈ことば〉や〈言語〉を表わす語が「口」や「舌」を表わす語…

前田英樹訳『ソシュール講義録注解』

〔2006.11.04記〕 相原奈津江・秋津伶訳の『一般言語学第三回講義』を読んで、ソシュールのいう「価値」がどういうものであるかはなんとなく理解できた。ソシュールの「言語langue」が言語規範と内言とを包括する意識内における言語活動全般を指しているらし…