個別概念の介在する表現⇒受容過程


〔特006.09.08記・同日表記変更・09.09追記〕

ネットで検索していて偶然「言語論的世界観と近代科学」というページを見つけた。シニフィエについての説明はおかしいが、ソシュール言語学がどんなものかについての説明が簡潔にまとめられている。

しかし、上記ページを読んでみても私には納得できない。ソシュールはなぜ「言語langue」によって思想を分節するなどといったのであろうか。

ソシュールいうところの「無定型の不分明なかたまり」・「浮動的な王国」・「茫漠たる観念の無限平面」である思想が「言語」によって分節されるとするなら、その思想は切れ目のない概念の集合体(以後「茫漠たる観念の無限平面」と記述)でなければならない。そしてその思想つまり「茫漠たる観念の無限平面」は対象からもたらされたものであるはずである。そうすると、なにも手がかりのない「茫漠たる観念の無限平面」の中に膨大な「言語」の体系の中のある特定の概念を探し当てるのはとてつもない労力を要する大変な作業であろう。しかもそれを思想が形をなすまでに何度も繰り返さなければならない。私の意識にはとてもそのような能力はありそうにないし、実際私の意識はそんな作業をしているようには見えない。

だいたい私の意識の中には「言語」が登場する以前に対象についての明確な概念が存在する。「言語」が登場するのは、私の意識内の概念を言語として表現しようとするときか、言語の媒介がなければ想起することのできない抽象的な対象(たとえば数)を認識しているときである。

私には、対象についての概念がその都度生じている(以下これを個別概念とよぶ)という三浦つとむの説明がもっとも納得しやすいし、それは私の意識内で現に起こっていることと齟齬をきたさない明快な説明であるように思える。個別概念は現実の対象であればそれは知覚とともに存在し知覚から抽象され形成される。また、想起されたものであればそれは表象とともに存在し表象から抽象され形成される。あるいはその対象を契機として記憶から想起される個別概念もある。いずれにしても個別概念はそれを生み出した対象との関連を保っている。

個別概念を言語として表現する際は、個別概念のもつ普遍的な側面を媒介として言語規範を構成する語規範(語観念・シーニュ)の体系から個別観念に対応する語概念を見つけ出し、(語概念⇔語韻)の形態で連合している語韻を語音ないし文字(語形象)の形態に変換して表現することになる。ただし、思考過程が表現に先立つ場合は「語韻→語音表象→語音・語形象」という過程を踏んで表現がなされる。

この記述は、私が何ごとかを表現するときの意識の運動をよく説明している。個別概念(の普遍的側面)とぴったり結合するような語概念が見つからないときは、できるだけそれに近い語概念を見つけるか、個別概念を複合概念の形式に直してより適切な複合した語概念として、それと連合している複合した語韻を見つけ出し、語音(語形象)の形態に変換して表現を行なう。

このことを簡単な例で考えてみよう。家に帰り着く途中で甲が見知らぬ白い猫の姿を見て、そのことを家人乙に「猫がいたよ」と告げたとする。まず、甲が猫の姿を見て脳裏に「ネコ」という語音表象(語表象:以下語音像と表記する)を浮かべるまでの過程はつぎのようである。


現実の猫は類としての「猫の類的属性(A普)」とその猫特有の性質「猫の特殊な属性(A特)」からなる存在である。これらを合わせて 属性(A普/A特) と表わす。それを認識した甲の意識内には、その「猫の知覚表象」と同時に「猫の類的属性(A普)」から抽出した「猫の類的個別概念(b普)」と、その猫の特有な属性(A特)から抽出した「猫の特殊な個別概念(b特)」が形成されている。これらを合わせて 個別概念(b普/b特) と表わす。ここで「猫の類的個別概念(b普)」は類としての普遍性をとらえた概念であるから、これが甲の持っている猫についての語規範「猫の語概念(c普)⇔猫の語韻/ネコ/(d普)」(語概念(c普)⇔語韻(d普) と表わす)に媒介されて、甲の意識内に「猫の語音表象「ネコ」(e普/e特)」(語音像(e普/e特) と表わす)が形成される。〔こうして個別概念(b普/b特)語音像(e普/e特)が結びついた「個別概念(b普/b特)語音像(e普/e特)」という形態の連合が成立する。――09.09追記〕これらの過程はつぎのようになる。

 属性(A普/A特)個別概念(b普/b特)語概念(c普)⇔語韻(d普)語音像(e普/e特)

続いて、甲が家に着き家人に「途中で見慣れない猫を見たよ」と告げるまでのことを「猫」の部分にだけ注目してみてみよう。


家人乙に話す前に甲は頭の中に途中で会った猫の表象を思い浮かべる。この表象は先の「猫の知覚表象」から想起された「猫の表象」であり、甲の脳裏にはこの「猫の表象」から抽出した「猫の類的個別概念(f普)」と、「猫の特殊な個別概念(f特)」とが同時に形成されている。これらを合わせて 個別概念(f普/f特) と表わす。そして先の場合と同様に、類としての普遍性をとらえた「猫の類的個別概念(f普)」が甲の持っている猫についての語規範「猫の語概念(c普)⇔猫の語韻/ネコ/(d普)」(語概念(c普)⇔語韻(d普) )に媒介されて《甲の意識内に「猫の語音表象/ネコ/(g普)」(語音像(g普))が形成される。そしてこの「語音像(g普)」をもとにして》「猫の語音「ネコ」(h普/h特)」(語音(H普/H特)と表わす)が発声される(《》内は思考過程のうち、言語規範に媒介される部分である。この部分は通常の発話過程には存在しないことが多い)。ここで「語音(H普)」は語の音声の普遍的な側面である音価[ネコ]であり、「語音(H特)」は甲の声の質や声の調子・高低など、音価とは直接関係のない特殊な側面である。これらの過程はつぎのようになる。

 個別概念(f普/f特)語概念(c普)⇔語韻(d普)《→語音像(g普)》→語音(H普/H特)

さらに、甲の話を聞いた家人乙が意識の内部に甲の見た見慣れない猫の表象を思い描くまでのことをこれも「猫」の部分にだけ注目してみてみよう。


甲の音声「猫の語音「ネコ」(h普/h特)」(語音(H普/H特))を聞いた乙の頭の中には「猫の語音(H普)」から抽出された「猫の語音表象「ネコ」(i普/i特)」(語音像「ネコ」(i普/i特))が形成される。この「語音像(i普)」は普遍的なものであるから、乙の持つ猫についての語規範「猫の語韻/ネコ/(k普)⇔猫の語概念(l普)」(語韻(k普)⇔語概念(l普))に媒介されて、乙の意識内に「猫の類的個別概念(m普)」とそれに媒介されて想起される「猫の特殊な個別概念(m特)」が形成され、それによってある種の「猫の表象」も同時に形成される。これらを 個別概念(m普/m特)) と表わす。〔こうして語音像(i普/i特)個別概念(m普/m特)が結びついた「語音像(i普/i特)個別概念(m普/m特)」という形態の認識が成立する。――09.09追記〕この「猫の特殊な個別概念(m特)」・「猫の表象」は乙が過去の経験を通して記憶として貯えたさまざまな猫の概念あるいは表象から形成されたものである。これらの過程はつぎのようになる。

 語音(H普/H特)語音像(i普/i特)語韻(k普)⇔語概念(l普)個別概念(m普/m特)

以上の過程を並べてみると、

 (1) 属性(A普/A特)個別概念(b普/b特)語概念(c普)⇔語韻(d普)語音像(e普/e特)

 (2) 個別概念(f普/f特)語概念(c普)⇔語韻(d普)《→語音像(g普)》→語音(H普/H特)

 (3) 語音(H普/H特)語音像(i普/i特)語韻(k普)⇔語概念(l普)個別概念(m普/m特)

のようになる。〔このとき、(1)では 個別概念(b普/b特)語音像(e普/e特) という連合が、(2)では 語音像(i普/i特)個別概念(m普/m特) という連合が成立している。――09.09追記

さて、この過程の最初と最後を直接連結してみると、

  属性(A普/A特)個別概念(m普/m特)

のようになるが、これは甲が見た猫(属性(A普/A特))の情報が甲の言語表現である「猫」の語音(語音(H普/H特))を媒介にして表象を伴った個別概念(個別概念(m普/f特))として乙の意識の中に伝わった(形成された)ことを表わしている。ところが「猫」という情報だけに限れば、実際には甲が見た猫の「類的属性(A普)」(属性(A普))だけが乙の意識の中に「猫の類的な個別概念」(個別概念(m普))として伝わっている。つまり甲が見た猫の「特殊な属性(A特)」(属性(A特))は乙には伝わっていないのである。「ネコ」という語音で伝わるのは対象の持つ普遍的・類的な側面だけなのである。言語規範を媒介とする表現→受容過程においてはこのような限界は免れえないのであって、甲が正確な情報を伝えるには、「ネコ」という語音を表現するだけでは不十分なのである。それゆえ、甲は「見慣れない」とか「白い」とか「隣の猫よりはやや大きい」などのさらに詳細で限定的な表現を加える必要がある(「見慣れない」とか「白い」等々のその猫の特殊な属性個別概念(b特)個別概念(普/特)としてとらえ返し、それを表現しなければならない)。

なお「途中で見慣れない白い猫を見たよ」のような表現についても、「猫」と同じように「途中」「で」「見慣れない」「白い」「猫」「を」「見」「た」「よ」それぞれの甲の脳裏に生じた「類的な個別概念」群が言語規範を介して語音に表現され、次いで語音を介して乙の脳裏に語音像が生じ、さらに言語規範を介して乙の脳裏にそれぞれの「類的な個別概念」として「途中で見慣れない白い猫を見たよ」という個別概念群が形成されるのである。

この猫の件では、対話を通して猫の毛の色や大きさやその振る舞い等を伝えることができるであろう。しかし、実際にはもっと複雑なことがらを伝えなければならないこともあるから、表現する側もそれを受け取る側も互いに相手の立場に立って表現の仕方を工夫したり表現を受け取るための努力をしたりする必要がある

最後に、言語規範の媒介によって伝えられる普遍的・類的な側面だけを取り出したものを示しておこう。これによって言語規範の媒介による表現⇒受容過程〈対象→意識→言語表現→意識〉普遍的・類的な側面を貫いて行われることがよく分かるであろう。

 (1) 属性(A普)個別概念(b普)語概念(c普)⇔語韻(d普)語音像(e普)

 (2) 個別概念(f普)語概念(c普)⇔語韻(d普)《→語音像(g普)》→語音(H普)

 (3) 語音(H普)語音像(i普)語韻(k普)⇔語概念(l普)個別概念(m普)