2006-01-01から1年間の記事一覧

認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔2006.08.18記〕 前稿「三浦つとむの認識論・言語論についての私見」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。 コメント:2006/08/18 言語と意識 認識(あるいは意識)が言語に囚われる(捉えられる)ということ…

三浦つとむの認識論・言語論についての私見

〔2006.08.17記〕 三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく意識(対象意識)をも含む広い概念としても用いている。したがって三浦の認識論は意識論をも含んでいる。そして宮田和保がその著『意識と言語』…

言語規範――規範と規範意識

〔2006.08.17記〕 規範とは、その表現が「かくあるべし(あるべからず)・かくすべし(すべからず)」という当為(Sollen)として表わされる他者とのあいだに交わされた約束・取り決め・契約などである。規範は取り決めをなした当事者の意識のうちに対象化(客…

全記事インデックス(カテゴリー別)

〔2006.08.14記・2006.10.01更新〕 ● 言語>言語本質論 (2006.08.18) 認識・意識が言語にとらわれるということの意味 (2006.08.17) 三浦つとむの認識論・言語論についての私見 (2006.07.27) 言語学の対象と言語過程説 [2006.07.23記・07.24修正・07.26参照リ…

認識の発展(対象意識・他者意識・自己意識)

〔2006.08.11記〕 「対象意識と観念的自己分裂」(2006/08/05)において私は対象意識を「意識内部において表象・概念として客体化されたものごとを意識主体が認識しているその意識のあり方」であると考えていると述べた。これと同様に他者意識・自己意識につい…

他者意識・自己意識

〔2006.08.10記・08.16注記〕 前稿「対象意識と観念的自己分裂」(08/05)では人間の意識の一つのあり方である対象意識について取りあげた。ところで人間は初めから対象意識(観念的な世界)を意識のなかにもって生れてくるわけでもないし、人類もまた最初から…

対象意識と観念的自己分裂

〔2006.08.05記・08.16注記〕 人間が「意識する」というとき、意識の内部には意識する主体と意識される客体とが存在している。つまり「表象化・概念化されたものごとを対象・客体として意識している主体」と「主体によって意識される特定のものごとの表象・…

自己意識の契機

〔2006.08.01記・08.17修正〕 人間の意識は外部の世界を映し出す鏡である。認識とはその鏡に映し出された像(客体)である。この意味で認識は対象認識ともよばれる。しかし意識という鏡は単に受動的に対象を映し出すだけのものではない。意識には認識を客体…

類的存在としての人間の意識

何か書こうと思っているのですが今は考える時間も書く時間もありません。以前書いたまま放置してある稿がありましたのでちょっと中途半端ですがお目汚しに。 〔2006.02.14記・2006.07.31追記〕 「人間が肉体的で、自然力のある、生きた、現実的で感性的で対…

概念の獲得

〔2006.07.28記〕 概念はまずある個物の知覚として私の意識の中に生じる。それは他の多くの個物との間にさまざまな関係を持った具体的な個物の知覚である。個物を取り巻くそれらさまざまな関係を反省するとき、私の意識はそれらの関係をその個物固有の性質・…

配色を変更しました

当ブログの背景色が暗くて見づらいというご指摘がありましたので、背景色、フォントの色等の配色を全面的に見直し、明るい背景のものにしました。配色以外のコンテンツの配置等には変更はありません。

人間の認識は徹頭徹尾概念的である

〔2006.07.26記〕 人間は対象を抽象的・一般的な形態で認識する。 人間の認知・認識は感覚→知覚→表象→(純粋)概念の順に抽象化・一般化の程度が上がっていく。しかし、感覚でさえすでに現実の対象から選択的に情報をとらえている。そこではある程度の情報が捨…

言語学の対象と言語過程説

〔2006.07.23記・07.24修正・07.26参照リンク追加〕 言語学――三浦つとむの規定する言語学(私が言語学であると認識している言語学)――とは一体何を対象とする学であるのか。 言語学が考察・研究の対象とするのは表現されたものとしての言語つまり言葉である…

「言語」の介在しない概念

〔2006.07.26記〕 言語規範が介在しない概念について考えてみたい。ソシュールはそのような概念は存在しないと考えていたらしい。そうでなければ「思想は,それだけ取ってみると,星雲のようなものであって,そのなかでは必然的に区切られているものは一つも…

誤読「言語の法典を利用するさいの結合」

〔2006.07.25記〕 「ソシュールの「言語」(3) 」(2006/07/16)は小林英夫訳『一般言語学講義』の中の「言語」はすべて「記号の体系」である、と私が思い込んでいたことから始まる誤読の話であった。つまり「言語」と表記されているものの中には「思考言語」と…

脱「言語」宣言

〔2006.07.23記・07.25一部削除〕 「言語」という言葉はソシュール以来非常にまぎらわしい術語になってしまった。「表現されたものが言語だ」といくら主張してみても、ソシュール的な意味の言語(langue)が氾濫している中(実際は両者および言語活動全体とが…

温度はたし算・引き算できないか(2)

〔2006.7.21記〕 「温度はたし算・引き算できないか(1)」(2006年7月19日の稿)に bluesy-k さんから次のようなコメントを頂いた。短い文章だがいくつかの重要な示唆がこのコメントには含まれていると思うのであらためて私の考えをまとめてみた(bluesy-k さん…

ブラインド・タッチと OEA配列

〔2006.07.20記〕 白状するが、実は一年前までブラインド・タッチができなかった。全くできなかったわけではない。ゆっくりやればできるのである。キー配列を覚えてブラインド・タッチを練習したのが olivetti のレッテラ・ブラックという電動タイプライター…

Google検索の電卓機能と温度計算

〔2006.07.20記〕 前稿「温度はたし算・引き算できないか」に頂いた manjuphobiaさんのコメント冒頭に「Google先生に聞いてみたが「37℃ + 37℃ = 347.15℃」であるそうだ」という前置きがある。これは Google検索の電卓機能で計算させた結果をいっているのだ…

温度はたし算・引き算できないか(1)

〔2006.07.19記〕 「極東ブログ」(finalventさん)の「3+2×4をどう読む?」というエントリーで「野崎先生の監修の本では、37℃+37℃は?という例もあった。とんちのようだが、重要な問いではある。」という部分に関して 「37℃+37℃は」に関しては…

日本語のプログラミング言語「なでしこ」

〔2006.07.18記〕 「極東ブログ」(finalventさん)というブログで「なでしこ」という日本語プログラミング言語(インタープリタ)があることを知った。最近はプログラミングなんて全然していないので敷居が高かったのだが(どうしてもしなければならないとい…

ソシュールの「言語」(3)

〔2006.07.16記・同日追記・2006.07.25追記〕 小林英夫訳の『一般言語学講義』には冒頭の「訳者のはしがき」に続いて小林による「解説」が載っている。その中で小林は「ソシュール理論に不案内な初心者には、要点を説明しておくほうが有益であろう」として6…

「言語」・「ことば」の語義

〔2006.07.15.記〕 いまさらながらであるが、「言語」・「ことば」とはなんであろうか。私の認識を述べる前に手もとにある辞書からその語義(意義)を調べてみよう(偏った選択であることは承知の上で)。なお、用例は省いた。 CD−ROM版『広辞苑第四版…

誤読でした

〔2006.07.13記〕 『一般言語学講義』第II編第4章「言語価値」§1「音的資料へと組織された思想としての言語」についての私の解釈は基本的に誤読であったことを表明しておきます。詳しいことはいずれ書きます。

言語表現における概念の二重性と二種類の概念

〔2006.07.12記〕 現実・非現実におけるある対象をある人間(認識主体)が認識し、意識の内部で客体化したその認識内容や思考内容(観念ないし個別概念)を認識主体が言語として表現する場合には、それらの個別概念は言語規範に媒介されて二重化しており、ま…

ソシュールの「言語」(2)

〔2006.07.10記〕 秀さんと私との間で理解が分かれた「言語が現われないうち」あるいは「言語の出現以前」という『一般言語学講義』にあるソシュールの表現について、その表現のある文とその前後の文章とをあらためて読んでみると私の理解もずれていたようだ…

北朝鮮・ミサイル試射実験

〔2006.07.09記〕 北朝鮮が行なったミサイル試射実験についてマスコミの論調や政府関係者の言動に違和感を感じている。それほど大騒ぎするほどのことなのか。むしろ米国産牛肉の輸入再開の危険性や次期首相候補 No.1 の安倍晋三氏が統一教会ダミー団体である…

ソシュールの「言語」(1)

〔2006.70.09記・同日追記〕 昨日トラックバックいただいた「ソシュールの言葉に対する解釈」(2006年07月08日)において秀さんは『一般言語学講義』から引用したソシュールの言葉に対する解釈が秀さんと私とでは異なるということを述べ、秀さんご自身が誤読し…

〔弁・抜〕先天主義

エンゲルス『反デューリング論』「第一篇 哲学 3 分類。先天主義」から ……思考のあらゆる分野で起こることであるが、現実の世界から抽象された諸法則が一定の発展段階に達すると、それは現実の世界から分離されて、なにか自立的なものとして、外からやって…

ちょっと反省/イデオロギー

〔2006.07.08記〕 秀さんのブログの記事はいろいろな意味で私の脳髄に刺戟を与えてくれる。このところの「唯物論と観念論」がらみのものは秀さんの規定する唯物論が今ひとつはっきりしないのでなんとなく歯切れが悪い。秀さんは論理的に筋を通そうとするあま…