観念的自己分裂

他者を鏡とするということ

〔2006.08.19記・08.22注記〕 「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」「他山の石」のようなことわざや故事、あるいは「人をもって亀鑑(かがみ)となす」といった表現の存在は人間が他者の姿や行動をわが身にあてはめて自己を反省する動物であることを示してい…

観念的自己分裂の位置づけ

〔2006.02.12記〕 認識論的にみた観念的自己分裂 「主観・客観と観念的自己分裂」で書いたように、観念的自己分裂という意識活動そのものは人間ならだれしも日常的にしかも絶えず頻繁に行なっているありふれた活動すなわち〈想像〉とか〈思考〉・〈移入〉な…

二重霊魂説に関して(三浦つとむ)

〔2006.02.07記〕 『三浦つとむ選集3 言語過程説の展開』(勁草書房)の冒頭に載せられた「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」の中で三浦つとむは次のように書いている。 絵画でも映画でもあるいは言語でも…

主観・客観と観念的自己分裂

〔2006.02.05記/2006.02.10追記〕 観念的自己分裂について語るときに三浦つとむは鏡の例を引く。 ある人が鏡の前に立って鏡に映った自分の姿を見ている場合、この状況を客観的に見ると、鏡という存在は鏡を見る主体[現実の人間]に対してその主体の視覚の対…

認識の発展(鏡としての表現)

〔2005.02.03記〕 人間が鏡や他者を媒介にして自己認識を深めること、さまざまな計器や観測機器を利用して外部の自然(人間の肉体を含む物質世界)についての認識を深めること、そのさい精神的に自己を二重化し、現実の自己の立場以外の立場に移行して思考し…

認識の対象化

〔2005.01.31記〕 さて、「行動的にも、現実的にも自分自身を二重化する。従って、自分が作った世界のほかで自分自身をみる」というマルクスの言葉に対して三浦つとむは次のように書いています。 「ここで行動的な現実的な自分自身の二重化といわれているが…

認識の発展

〔2005.01.21記/2005.01.30追記〕 三浦つとむはその著書の中で、鏡像を媒介とする観念的自己分裂についてとりあげ、鏡以外にも鏡と同じような働きをするものがあるということを指摘しています。鏡と同じような働きをするものには、虫めがねや望遠鏡、顕微鏡…

鏡と自己分裂(三浦つとむ)

〔2004.06.21記〕 購入したばかりの『三浦つとむ選集』の第一巻『スターリン批判の時代』に鏡に関する興味深い論考がありましたので載せておきます。以下引用は「スターリンの言語学論文をめぐって」(p.59)から。なお下線は私がほどこしたものです。 まず…

鏡と自己分裂

〔2004.04.09記/2005.01.20修正・追記〕 鏡の話。子猫の目の前に鏡を置いてみると、はじめのうちは鏡に映っているものに前肢で触ろうとしたり、顔を近づけてみたりしますが、やがて鏡の後ろに回ってそこを覗きます。しかし何もいないことが分かると再び鏡を…

独り言と自己分裂

〔2004.03.13記/2005.01.22修正・追記〕 ことばというのは聞いてくれたり、読んでくれたりする人に向かって発せられるもの。ここにこうして書いているのも誰か読んでくださる方がいるだろうと思うからです。ことばに限らず表現というものはそういう性格をも…