個別概念そして普遍概念・特殊概念


〔2006.08.28記〕

前稿では個別概念という言葉と普遍概念という言葉とを何の説明もなしに用いた。これらと特殊概念という言葉とは構造的なつながりがある。特殊概念と普遍概念についてはかつて「ことば・認識についての覚書」の「7. 概念の階層」の「特殊概念と普遍概念」で書いたことがある。しかしこの部分はかなり簡単なものであって個別概念については何も触れていない。私たちの認識において個々の事物は通常は普遍概念と特殊概念とが統一された概念としてすなわち個別概念として現われる。つまり、個々の事物をとらえた個別概念は、どの程度のレベルでその個別概念の側面をとらえているかにしたがって分類の階層が異なるのであって、ある側面は他のある側面を含むという意味で普遍的であり、またその側面は他のある側面から見ればそれに含まれるという意味で特殊的でもある。したがって個別概念はきわめて多面的な構造を持ったものなのである。

三浦つとむは個別的概念・普遍的概念・特殊的概念という言葉を用いて、この複雑な構造について詳しく述べている。長くなるが引用する。

『認識と言語の理論 第一部』勁草書房、p.90〜92


われわれが抽象的なかたちで思惟をすすめるときには、概念とよばれる超感性的な認識が使われる。しかし一部の学者は、思惟を頭の中で行う言語活動であると主張しているのであって、これは思惟をすすめるときに頭の中に観念的に音声や文字があらわれるという経験から出発している。それゆえ、概念と言語との関係が明らかにされなければならないが、これは言語の発生と発展を歴史的=論理的に検討することになるので、後に譲ることにし、ここでは言語の問題を一応捨象して概念のありかたを考えてみよう。

 概念は個々の事物の持っている共通した側面すなわち普遍性の反映として成立する。すでに述べて来たように、個々の事物はそれぞれ他の事物と異っていてその意味で特殊性を持っていると同時に、他の事物と共通した側面すなわち普遍性をもそなえているので、この普遍性を抽象してとりあげることができる。たとえば私の机の上に文字を記すための道具が存在するが、軸は黒いプラスチックでつくられ尖端に金属製のペンがついていて、カートリッジに入っているインクがペン先に流れ出るような構造になっている。このような道具は多くのメーカーでそれぞれ異ったかたちや材質のものを生産していて、私の持っているものにも他のものとは異った個性があるけれども、それらは共通した構造にもとずく共通した機能を持っていて、ここからこれを「万年筆」とよぶわけである。それゆえ、概念にあっては事物の特殊性についての認識はすべて超越され排除されてしまっている。だがこのことは、特殊性についての認識がもはや消滅したことを意味するものでもなければ、無視すべきだということを意味するものでもない。特殊性についての認識は概念をつくり出す過程において存在し、概念をつくり出した後にも依然として保存されている。私が「万年筆」を持っているというときのそれは、私の机の上にあるそれであって、文房具店のケースの中にあるそれではないし、もし必要とあらばその概念の背後に保存されている特殊性についての認識をもさらにそれ自体の他の側面である普遍性においてとらえかえして、「黒い」「万年筆」とか「細い」「万年筆」とか、別の概念をつけ加えてとりあげるのである。

 この場合の「万年筆」は、机の上に個別的な事物として存在している。私はこの事物の普遍性を抽象して概念をつくり出したにはちがいないが、その対象とした普遍性はこの個別的な事物の一面として個別的な規定の中におかれている普遍性にすぎない。普遍性をとりあげてはいるものの、問題にしているのは個別的な事物それ自体なのである。しかしわれわれは、個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる。このときにも同じように普遍性が抽象され概念がつくり出されるが、その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。「万年筆はますます普及している」というときの「万年筆」は、個別的な存在ではなくて全体を問題にしている。さきの私の「万年筆」が個別的概念であるのに対して、この全体をとりあげた「万年筆」は普遍的概念あるいは一般的概念とよぶべきものである。これと同じことは、鉛筆やボールペンについても成立するのであって、「鉛筆」「ボールペン」などの概念にも、個別的な事物をとりあげた個別的概念もあれば、全体をとりあげた普遍的概念もあるわけである。

つぎに、類としての普遍性を考えてみると、これは個別的な事物のすべてをつらぬいているという面から見て、たしかに普遍性それ自体はいずれもひとつの個別的な存在として扱われることになる。「万年筆」という類、「鉛筆」という類、「ボールペン」という類など、個別的な存在としての類が多種多様にあって、さらにこれらに共通した普遍性を対象とする「筆記用具」というヨリ高度の普遍的概念も成立している。そしてこの普遍性に対しては、「万年筆」「鉛筆」「ボールペン」などの個別的な存在としての類はそれぞれ特殊性をそなえた類としてとらえかえされることになり、これらは特殊的概念の性格を与えられることになる。さらにこの「筆記用具」も「文房具」という普遍的概念に対しては特殊的概念であるというように、ヨリ低い類からヨリ高い類へと対象の立体的な構造をたどって認識が発展し、抽象のレベルが高くなっていく。そしてそれにもかかわらず、これらの概念は超感性的な点で共通しており、言語表現でも同じ語彙が使われるのである。