言語>意味

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(3)

〔2007.03.28記〕 三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)で引用したうちの後の方の二番目の段落で、ルフェーブルが「意味はあらゆる側面から他のものへわれわれを送りかえす。一方においては、過去へ、既得の知識へ、現在性へ、記憶へと、――他方…

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(2)

〔2007.03.27記〕〔03.28(注)他を追記〕 さて、言語学の分野では表現された言語(自然言語)の意味とは何かということについての定説が存在しない。つまり、意味論が確立されていない。その中では最近よく耳にするようになった認知意味論は三浦の関係意味論に…

三浦つとむ「意味とは何か、どこに存在するか」(1)

〔2007.03.22記〕〔03.23追記〕 『ことば・その周辺』というブログタイトルに関連する記事としては、最近(といっても2ヵ月も前の記事であるが)書いたのが「シニフィエについて」であり、その前が「言語と内言――言語の意味 」であった。この時期の私の関心は…

言語と内言――言語の意味

〔2006.12.23記〕 「連辞関係」から「価値」が生まれるというソシュールの主張がどういうものであるかがある程度はっきりしたので(ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」)、以前書いた「内語」「内言・思考言語」の再規定(2006/10/23)という記事への…

ソシュールの「言語」――「言語単位」と「価値」

〔2006.12.17記〕〔12.22 内容を修正/追記〕 「言語 langue」から「言 parole」も「書 écriture」も切り離したソシュールの「言語」観察においては、言葉の厳密な意味における表現とその受容という視点はありえない。したがってソシュールは言語の表現過程も…

表現・受容過程と販売・購買過程のアナロジー

〔2006.10.01記〕 前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後…