言語本質論

認識・意識が言語にとらわれるということの意味

〔2006.08.18記〕 前稿「三浦つとむの認識論・言語論についての私見」の内容に関しておっちゃん(敬称略)から次のようなコメント(改行位置を変更)を戴いた。 コメント:2006/08/18 言語と意識 認識(あるいは意識)が言語に囚われる(捉えられる)ということ…

三浦つとむの認識論・言語論についての私見

〔2006.08.17記〕 三浦つとむはその著書の中で「認識」という語を「対象認識」という狭義の概念としてだけでなく意識(対象意識)をも含む広い概念としても用いている。したがって三浦の認識論は意識論をも含んでいる。そして宮田和保がその著『意識と言語』…

言語学の対象と言語過程説

〔2006.07.23記・07.24修正・07.26参照リンク追加〕 言語学――三浦つとむの規定する言語学(私が言語学であると認識している言語学)――とは一体何を対象とする学であるのか。 言語学が考察・研究の対象とするのは表現されたものとしての言語つまり言葉である…

「言語」・「ことば」の語義

〔2006.07.15.記〕 いまさらながらであるが、「言語」・「ことば」とはなんであろうか。私の認識を述べる前に手もとにある辞書からその語義(意義)を調べてみよう(偏った選択であることは承知の上で)。なお、用例は省いた。 CD−ROM版『広辞苑第四版…