温度はたし算・引き算できないか(2)


〔2006.7.21記〕

温度はたし算・引き算できないか(1)」(2006年7月19日の稿)に bluesy-k さんから次のようなコメントを頂いた。短い文章だがいくつかの重要な示唆がこのコメントには含まれていると思うのであらためて私の考えをまとめてみた(bluesy-k さん、ありがとうございます)。


はじめまして極東ブログから飛んできました。

僕は「37℃+37℃=74℃」でいいと思いますよ。そこで「+=」の単純な記述に「混合系の温度を求めよ」という物理的含意を付与するのは少し飛躍があると思います。

単位があっても「+〜」を「〜℃高い」ととれば普通に温度計のメモリを上に読みすすめればいいわけですし。

ただ、「示強変数の概念への気づきを促す可能性がある。」という点でそこで立ち止まってみるのも有益ということでしたらそうですが。

二つの立場の相違は単なる数学的記述に勝手に物理的含意を見出してやるという態度と、物理的含意に関してもちゃんと明示的に記述されないうちから解釈するのはそれはおかしいという態度の相違だと思います。前者が日常感覚に近く、後者が科学的態度に近いと思います。

極東ブログ」のコメントから始まったこの問題には三つの論点がある。私自身なんとなく脳裏にはあったが bluesy-k さんが簡潔にまとめて下さった。

一つは「+=」という記号表現(記述)の問題である。二つめは「示強因子によって表される混合系(この言葉は知らなかった)の現象においては、単純に示強因子どうしをたしたりひいたりすることは意味がない」ということ、三つめは「ある前提のもとでは示強因子どうしの差を(場合によっては和も)考えることは日常的にも科学的にも意味がある」ということである。そしてこの三つの問題(特に後の二つ)について実際の教育現場で子供たちにきちんと教えられているかどうかということも第4の問題として考えられる。この第4の問題は「極東ブログ」の当該エントリーの内容とも関わっている。

まずは一つめ。通常「○+△=」という表現(記述)が与えられたときはすでに○と△とは加算できるものとして前提されている。少なくとも自然科学においては加算不可能なものに対して「+」という加算記号を用いることは許されていない。私は野崎昭宏さんの本を子供向けのものを含めて何冊か読んでいるので、野崎さんがどんな方かはある程度知っている。だから野崎さんがその著書に「37℃+37℃は」という記述をしたとすれば、これはわざとやっておられるなと判断できる。そこで、私はそれを逆手にとって「74℃が正解です」とやったわけである。ただ、それだけでは誤解される可能性もあるだろうと思ったから(37℃よりも37℃高い温度は?」とか)という断り書きを入れ、野崎さんが意図していると思われる反則的な解釈(「37℃のお湯に37℃のお湯を加えたら、温度は37℃のまま」)も同時に付け加えておいた。混合系における現象についても(「37℃のお湯に50℃のお湯を加えたら?」では情報不足で答が出せません)という形で触れたつもりである。

二つめ。私に反対ないし批判的なコメントを寄せた方たちは主としてこの観点から語っている。私の直截的な表現によって誤解されてしまうという可能性もないわけではない(とはいえ上に書いたように断り書きや付記をきちんと読んで下されば誤解はなさらないであろう)。第4の問題とも関係するが概してこの混合系の現象(つまり1あたり量がからんだもの)については小・中・高の数学(算数)・理科では難しい部類の問題として知られている。よく理解できないまま終っている人たちも多いであろう。したがって、混合系の・示強因子(1あたり量)の現象として「37℃+37℃」を取りあげるのは大いに意味のあることであり、そのような指摘に対しては私にも異論はない。

三つめ。bluesy-k さんはこれを「日常感覚に近」いとおっしゃっておられるが、日常感覚というのは無自覚的ではあっても意外に科学的な把握であることも多い。示強因子どうしの性質を相対的にとらえてそれを差で表わすのはある意味では理にかなったことである。これは同質系(こんな用語があるかどうか分からないが混合系に対立する概念として用いる)における示強因子どうしの差という観点から見るのが分かりやすいかもしれない。

たとえば、天気予報で明日の最高気温が今日のそれよりも「+3℃」であると聞いた場合、私の日常感覚を反省してみると、同じ部屋あるいは同じ屋外の場所における空気(大気)の温度差としてとらえており、同じ部屋だった場合は同体積(近似的には同質量)の空気の温度の差としてとらえているからそれがどの程度の熱量の差(同じ質量の空気の持つ熱量の差)になるかを経験的・直観的な体感として寒暖の判断材料にしているように思われる。

このことは混合系における温度変化をとらえるときにもいえるのであって、平衡に達するまでのそれぞれの物質(物体)の温度変化という形で温度の差が等式の両辺に現われてくるのは、左辺と右辺とを別々の物質(物体)の同質系における熱量の変化として分けて考え、それぞれの熱量の変化に直接関与するものとしてそれぞれの(初期状態から平衡状態に達するまでの)温度差を考えているからであろう(数学においても濃度の異なる食塩水どうしを加える問題や速さの問題では、方程式を立てる際にいくつかの同質系をそれぞれ分けて考えている)。

第4の問題については、私の経験からもある程度の問題提起ができるかも知れない。これについては改めて考えてみようと思う。

〔付記〕

「温度はたし算・引き算できないか」について、「極東ブログ」において、とむけんさんから「納得した」旨のコメントを頂いた。その中でとむけんさんは「どういう条件で足し算ができるか、という点については説明が必要なこと、温度を考えるときには「温度差」が重要だ、という点は小学生にも勉強してほしいと思います」とも書いておられる。これについては私も同感である。私は塾で数学(算数)や理科を子供たちに教えるときにはそのように注意を向けるように心がけている。これは数教協(数学教育協議会:委員長・野崎昭弘)や遠山啓さんがめざしている(た)ことでもある。