認識の発展(対象意識・他者意識・自己意識)


〔2006.08.11記〕

対象意識と観念的自己分裂」(2006/08/05)において私は対象意識を「意識内部において表象・概念として客体化されたものごとを意識主体が認識しているその意識のあり方」であると考えていると述べた。これと同様に他者意識・自己意識についても私は次のように考えている。

他者意識とは、意識内において自己以外の他者を客体として映し出している状態、すなわち意識内において表象・概念として客体化された他者を意識主体が認識しているその意識のあり方である。

自己意識とは、簡単にいえば、意識内において自己を客体として映し出している状態、すなわち意識内において表象・概念として客体化された自己を意識主体が認識しているその意識のあり方である。

したがって自己意識も他者意識も対象意識(観念的な世界)の一つである。しかし自己意識や他者意識が特にそれとして取り上げられるのはそれらが自己や他者の身体的・活動的なあり方だけでなく、自己の意識・他者の意識のあり方をも意識主体の認識対象とする意識であり、それらが意識主体を介して現実の自己の意識的・行動的なあり方との間で相互浸透(相互に影響)し合い相互にその性格を規定し合うからであり、それによって対象意識が真に人間的な対象意識となるからである。

この相互浸透は自己意識においては、客体化された自己の意識や自己のあり方を反省することにより自己認識の変化をもたらす。また他者意識においては、客体化された他者の意識や他者のあり方が自己の立場や意志・判断・感情…に浸透して他者の立場や気持に思いをめぐらし、他者の立場に立ったものの見かたや考え方ができるようになる。さらに現実の自己によって作り出される自己意識と他者意識も相互に浸透し合い規定し合うことになり、それによって客観的な自己対象化や主体的な他者の立場への移行等(観念的自己分裂)を介した自己認識もより深化し、他者への共感・理解能力もまたより強いものになるのである。

このように現実の自己と対象意識との相互浸透の運動は自己および対象意識の変容をもたらす。それはときには後退でありときには発展であるが、この相互浸透(観念的自己分裂)を自覚的に行なうことができれば大筋として人間の現実的な行動様式も意識活動のあり方も認識の内容もともに発展・成長するであろう。

以上のことから分かるように、対象意識における客体(対象・自己・他者)には現実の自己の立場や意志・判断・感情…が浸透しているのであり、それらは決して純粋の客観ではない。しかし、現実の自己の立場や意志・判断・感情…にも対象意識において客体化された他者の立場や意志・判断・感情…が浸透しているから、自覚的に他者の立場に移行した対象意識(観念的自己分裂)においては客体(対象・自己・他者)もそれを見る意識主体もより客観的なものになる。そして対象意識(観念的自己分裂)を通じて得られた認識がどれだけ客観的なものであるかは、現実の自己と意識主体との連携によって現実の対象や自己・他者のあり方と突き合わせて検証してみるしか方法はない。しかし、このような現実的・実践的な検証を通して人間の認識はより客観的なものになるのであるから、そのことを忘れて人間の認識一般の主観性にばかり目を奪われ人間の認識の不確かさをいたずらに強調し悪しき相対主義の罠にはまり込むのは総じて愚かなことである。