言語規範――規範と規範意識


〔2006.08.17記〕

規範とは、その表現が「かくあるべし(あるべからず)・かくすべし(すべからず)」という当為(Sollen)として表わされる他者とのあいだに交わされた約束・取り決め・契約などである。規範は取り決めをなした当事者の意識のうちに対象化(客体化)された規範認識として存在するものであるが、それが規範であることをはっきりさせ、当事者間の合意事項であることを明確に認識させるために文書の形で表現されることもある。しかし規範の本質はそれが当事者の意識のうちに認識として存在するものでありながら、規範意識という意識のあり方を介して、自己の内なる他者の意志・命令(Sollen・Shall)として当事者の現実的な意志(Wollen・Will)や行動を規制するものとして働くところにある。

しかし、規範を単に当事者の意志を規制するものとのみとらえるだけでなく、その現実的・積極的な意味をも考える必要がある。人間の社会が生み出したものには、それが生れただけの理由があるのであって、社会の秩序の維持という目的や個人間の物質的・精神的交通を円滑に行なうという目的のために不可欠なものだからこそ人間社会は規範を生み出したのだということを忘れてはならない。また、個人が自ら個人的な規範を作り出し、自分の生活の秩序を維持し行きすぎた欲望を押えるために自ら進んでそれに従うこともある。つまり人間は規範に従うことによって単に自分の意志(Wollen)や行動を規制するだけではなく、それによって自己の実現を図るためのより高次の意志(Wollen)を作り出すこともできるのである。

三浦つとむは「(規範は)認識の受けとる一つの社会的性格であり、われわれが社会的な関係で規定されながらもさらに社会的な関係を発展させるためにつくり出す、意志の一つの形態である。意志の自由という難題がここにもつきまとってくる(『認識と言語の理論第一部』勁草書房)といい、


…人間は社会の一員であり、子どももまた社会の細胞である家族の一員として毎日生活しているという、人間の本質的なありかたから認識が規定されてつくり出す特殊な矛盾がある。それは意志の持つ矛盾としての規範の成立である。個人はどんな意志を持ちどんな行動をしようと勝手だ、ということにはならない。それぞれの生活集団としての、共同利害を考慮しなければならない。認識の内部に意志に対立する意志として、いわばフィードバック的な構造を持つ矛盾がつくり出されることになる。この対立する意志は、ネガティブ・フィードバックとして意志の成立を押えつけたり、あるいはポジティブ・フィードバックとして意志の成立を促したり、その機能においてもこれまた一つの矛盾を持つところの存在である。規律・掟・規約・法律などさまざまな種類の規範が存在している。(同上)

のように、規範は意識における意志の矛盾ではあるがそれには積極的な意義があると述べている。

言語規範もまたそのような規範の一種であり、人間が相互に物質的・精神的交通を不自由なく行なうために作り出した言葉を使うための約束ごとである。言語規範の中には語法・文法・統語法・文章法や用字法・音韻・語彙などのさまざまな体系が含まれている。ソシュールの発見したいわゆる「言語」もこの言語規範に含まれるものであり、音声言語における語彙の体系とでもいうべきものである。

したがってソシュールのいうように、人間は「言語」という規範に従わなければ言語表現を行なうことができず、相互に精神的交通――自分の認識や意識を相互に伝え合うこと――もままならないことになり、ひいては物質的な交通にも支障が出てしまう。しかし、「言語」の持つこの規制的な面にばかりとらわれ、言語規範を作り出すことによって人間が獲得した精神的・物質的交通の自由の拡大について目を向けないのは片手落ちであろう。また、言葉のもつこのような実用的な効用だけでなく、文学のような言語芸術をも可能にしたという積極的な面を評価することも必要である。

さらには言葉の発明が人間の意識の形成発展に及ぼした影響にも留意する必要があるだろう(言葉と人間の意識とは相互に作りあって発展してきたのであり、それはまた人間の生活と意識との相互発展――人間の歴史――とも深く関わっている)。