ソシュール「言語学」とは何か(5)

〔2006.11.23記〕

さて、「そこにあるのは、思考−音が言語学の究極的単位としての諸区分を含んでいるという、どこか神秘的なこの事実である(『ソシュール講義録注解』(p.59))として「言語」における単位の発生を説明してしまえば、ソシュールにとっては単位の発生はもう解決済みの問題となる。しかも、ソシュールにとってその現象はあくまでも「言語」内部における現象である。こうして「言語」は絶えず言語単位を生成し、しかもそれは体系内部で単位相互の関係を更新しつつ質・価値はそのときその場限りで消滅していく。とすれば、言語単位は何か定まったものではない。言語規範の媒介といった上から規定してくるようなものもソシュール「言語」には存在していない。

「言語」(内言)は「神秘的な」区分によって分節された「思考」である。そしてソシュールにとって「思考」は「言語」内部に何の契機もなく生じるものなのだろう。ソシュール言語学」はこのような虚構の上に成立する。だから、質・価値がどのようにして生成するかという謎を解くための連辞(言語単位の連結つまり内言)の分析やあたかも言語規範のように見える「記号の体系=連合の体系」の分析もすべて「言語」内部の論理にしたがってなされなければならない。そして、このような閉じた「言語」内部にある諸「記号」や諸単位に見出されるのは「同質性」と「差異」だけである。

「同質性」も「差異」ももともとは「思考」に内含された「神秘的な」区分からもたらされたものである。しかし、ソシュールは「同質性」と「差異」を「言語」それ自身に最初から内在していたものとして扱う。なぜならソシュールにとって質・価値の生成原理を探る武器は「同質性」と「差異」しかないからである。

以後、「同質性」と「差異」を手がかりにしたソシュール「言語」分析――ソシュール「言語」学――は壮大で難解な哲学(解釈学)となる。

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