三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

〔2006.12.09記〕

ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の対象はこれらの話し言葉や書き言葉…を話したり書いたり…している生身の人間の肉体的・精神的な社会的活動すなわち人間対人間の時間的・空間的――過程的――な精神的・肉体的な交流活動(運動)であって、言語学はこの対象を動的(過程的)関係・構造的関連において研究し把握するという立場からなされなければならない。これが言語過程説という仮説を提出した時枝誠記の立脚点であり、それを受け継いだ三浦つとむの主張である。

私はこれが言語を科学的に探求する者がつねに念頭に置いておかなければならないもっとも基本的な態度だと思う。ソシュールが「言語学」の対象とすべきであると規定した「言語langue」は、断じて言語ではない。「言語langue」は人間が互いの精神的交通のために言語を使うにあたって自然成長的に作り上げた社会的な規範(言語規範)であり、あるいはそれ(言語規範)を媒介としてなされる思考過程の一部たる――しかも表現を前提としない閉じた円環運動つまり「内言」である。

しかし、現実にはこのソシュール的な言語観が言語学の主流を占め、思想界はこの言語観を祖と仰ぐ形而上学的な潮流に満たされている。私は幼い頃からことばに関心を抱きつづけてきた私自身の素朴な実感と直観とからこれを非とし、時枝誠記三浦つとむの主張する言語観=言語過程説を是とするものである。これが三浦つとむに出会って以来30数年経った今も変わらぬ私の立場である。

時枝誠記の言語過程説」(『言語学記号学』p.191)


   言語学コペルニクス的転換

 言語とよばれる表現を現象的に見るならば、いくつかの単語の集合体として存在するのであるが、経験はこれらの単語がすべて同じ性質のものではないことを教えているから、これらを分類する仕事が古くから行われているけれども、問題はその分類の基準である。言語の本質をどうとらえるかによって、この分類の根本的な基準も変らないわけにはいかない。言語の本質を過程に求める言語過程説にあっては、単語の分類の基準もまたこの過程的構造に求めるのであって、単語の用法に求めるのではない。この分類の基礎的な発想も、すでに在学中にできあがっていた。山田孝雄(やまだよしお)の主張に対する批判的な私案として、つぎの類別が考えられていたのである。


「一 表現を表はす言葉――客観の世界の表現――名づくるといふ作用が明瞭になってゐる。
 二 情意を表はす言葉――主観の世界の表現――心的内容そのものを表現する。」(『国語学への道』23頁)

 名詞・動詞・助動詞等の分類は、すべてこの二大別を行なった上での下位の分類だということになる。だが分類の基礎的な発想が生れたこととそれが文法学に体系化されることとは別であって、体系的なかたちで公けになるまでにはなお多くの歳月が必要であった。


「昭和十二年三月、雑誌『文学』に『文の解釈上より見たる助詞助動詞』と題する論文を発表したことは、私にとっては、背水の陣を布(し)いたも同然であつた。その前に、『文学』編輯(へんしゅう)部から依頼を受けて、それまでに鬱積してゐた私の考への何処に焦点を置くべきかに迷ってゐる内に、次号予告に発表されてしまつた関係上、止むなく四苦八苦の思ひで、辛うじて脱稿し得たものである。主題は、助詞助動詞と他の品詞との相違を、その表現過程にあると考へ、それに関連する種々な問題を考へたものである。助詞助動詞と他の品詞との間には、かなり根本的な相違があることは、以前から注意してゐたことで、これに、第一次表現、第二次表現といふやうな名称を与へて区別して見たりしてゐたのであるが、具体的には、それが何の別に基くかは、容易に理解できなかつた。ここに大きな示唆を与へて呉れたものは、本居宣長の門下である鈴木朖(あきら)が与へた規定である。朖は、語をてにをはと三種の(名、作用の詞、形状の詞)とに分ち、は物事をさし表はしたものであり、てにをはは詞につく心の声であるとした。もしこれを、今日の言葉を以つて云ひ表はすならば、は表現素材の概念化、客体化による語であり、てにをはは話手の直接表現による語であるとすべきである。この単語分類の基準の設定は、その中に多くの問題とすべき事項を含んでゐるのである。言語を研究対象として把握するためには、解釈作業を前提としなければならないこと、助詞助動詞に属する語の範囲の問題、助詞助動詞と接尾語との本質的相違の問題、更に根本において、話手である言語主体の問題等を含み、私は勢ひこれらの問題を解明する必要に迫られた。前記の論文に引き続いて、私は、『心的過程としての言語本質観』を、昭和十二年六・七月の『文学』誌上に発表した。堤の水は、遂に切つて落された。もはや私は敢然として、この激流を泳ぎ切るより外に生きる道がないことを自覚した。(中略) 死出の装束(しでのしょうぞく)を纏(まと)つた獅子奮迅の姿、それは昭和十二年から一六年に亘(わた)つて、殆(ほとん)ど毎月論文を執筆した私の姿であつた。かくして大正末年以来の宿題であつた『言語とは何であるか』の問題に対する一応の解答が出来上つて、『国語学原論』の一書が成立するに至つた*。」

 学問的生命を賭け、恩師橋本進吉の理論さえも批判の対象としながら、言語学および国語学の革命を遂行しようとする時枝にとって、死出の装束を纏った気もちだったのも無理からぬことである。過程的構造において単語を二大別することが、文法構造の解明にどのように役立ったかは、一九三八年から三九年にかけて発表された敬語法の研究を見れば明かである。敬語法はたしかに「国語研究における一の迷路」(『国語学原論』431頁)であり、言語学の正否をテストするための試金石としてもっとも適した存在であるが、時枝の言語本質論はこの迷路を正しく辿(たど)っていくための武器として、快刀乱麻というにふさわしい有効性を発揮したのであった。

 私は以前から時枝理論を言語学コペルニクス的転換とよんでいるのだが、これは単なる比喩ではない。まず第一に、地動説はコペルニクスがはじめて提唱したものではなく、天動説がどうにもならない混乱におちいった時代にあって、それに代る学説を求めて宇宙構造論の伝統を辿り、学者たちに無視されていた古代ギリシァの地動説を再発見し展開したものである。科学史の論理において、コペルニクスの業績と時枝の業績とは共通しているのである**。地動説は決して完全なものではなく、彼の理論を支持する学者によっていろいろ訂正が行われ具体化がなされたのである。同じことが時枝理論にもいえるのであって、訂正や具体化を必要とするということで理論的転換の持つ意義を抹殺してはならない。これを確認した上で、時枝の言語本質観の弱点を訂正しておくことにしよう。言語過程説での「過程」の理解はつぎのようになっている。


「言語は、思想の表現であり、また、理解である。思想の表現過程および理解過程そのものが、言語である」「言語は、音声(発音行為)或は文字(記載行為)を媒介とする表現過程である。同時に、音声(聴取行為)或は文字(読字行為)を媒介とする理解過程である。」(『国語学原論・続篇』4頁)

「言語は、行為であり、活動であり、生活である。それは、次の等式によつて示される。
 言語=言語行為=言語活動=言語生活」(同上、13頁)

 過程は結果とのむすびつきでとらえる必要がある。運動は静止を排除するものではなく、その一つのありかたとしてふくむものであるから、両者を統一においてとらえる必要がある。言語において静止した存在は、文字言語であるが、これを運動から切りはなして、いわば結果として存在するものを過程から切りはなしてとらえがちなところに、時枝のいう言語実体観が生れるわけである。この批判として過程を強調することは正当であるが、強調しすぎるとこんどは裏返しになって、静止を軽視し結果として存在するものを正しく扱えないふみはずしにおちいる危険がある。絵画や彫刻も静止した存在をさすことばであるが、この静止した存在が表現なのである。音声言語は表現が瞬間に消滅する点で絵画や彫刻と異るにすぎない。音声や文字は、人間の精神的な交通過程において媒介物としての役割を果たすけれども、この交通過程それ自体が言語なのではなく、音声や文字が言語なのである。精神的な交通過程それ自体を言語とよび、言語活動(行為)と言語とを同一視する時枝のとらえかたは行きすぎである。音声や文字は現象的に一個の実体として存在しながらも、その実体は表現である像の担い手であり、この像の背後に過程的構造をかくし持っているのであるから、この直接とらえることのできぬ過程的構造を正しく辿っていくことをさまたげる言語実体観は批判されねばならないが、音声や文字が過程的構造をふくみながらも否定したかたちで表現として与えられているという、過程と結果を正しく統一した把握をするのでなければ、言語実体観を止揚したことにはならないのである。

 言語活動と言語とを同一視する時枝にあっては、理解過程それ自体も言語だということにならないわけにはいかなかった。言語とは表現をさすことばで、理解過程を言語とよぶのはあやまりである。日常の会話で

この花を折ったのはおまえだろう。    (A)
ぼくじゃないよ。            (B)

というようなとき、AB間には精神的な交通が成立している。BはAの表現を追体験してから答えている。「ぼくじゃ」は「おまえだ」を受けとめてくりかえすかたちをとっているのであって、「だ」というAの判断をBは「じゃ」と追判断し受けとめた上で「ない」と否定している。Aの理解過程は同時にBの表現過程でもあるが、だからといって理解過程を言語とよんでいいということにはならない。時枝的にとらえれば、絵画も表現過程と理解過程との両者をさすものになるが、絵画の観賞後にその感想や批評を文字言語で書くような場合、絵画の理解過程は同時に文字言語の表現過程であるから、理解過程であるという点では絵画といえるし表現過程であるという点では言語ともいえるわけで、混乱してしまう。言語と他の表現とが交錯する場面で、「極微極細の現象に対して凝視すること」(『国語学原論』3頁)がまだ不十分であったようである。

 過程的構造における単語の二大別は、はじめ「概念語」「観念語」と名づけられ、つぎに古くから用いられて来た「詞」「辞」を活用するかたちがとられ、さらに『日本文法・口語篇』(一九五〇年)から『国語学原論・続篇』(一九五五年)には「客体的表現」「主体的表現」という名称が使われている。表現論としてはこの最後の名称が妥当であるから、私もこれを採用しているが、言語表現はすべて非言語表現を伴うものであって、言語表現としては「詞」「辞」ですますことができても、これらの単語が同時に持っている非言語表現の側面での表現構造をとりあげることになると、どうしても「客体的表現」「主体的表現」として区別する必要に迫られるのである。それはともかく、時枝は絵画の表現構造をつぎのように説明する。


「絵は画家にとって客体的なものの表現であるが、額縁は、絵そのものを収めるに相応(ふさわ)しいものとして画家によって選ばれる。客体的なものに対する画家の志向の表現である。しかも額縁はそれによって絵を包み、かつ統一し、この両者によって絵がはじめて完成されるのである。」(『日本文法242〜3頁)

 これは絵画の表現構造に対する誤解であるだけでなく、言語の表現構造に対する理解の不十分なことをも暗示している。絵画は一見客体的表現にすぎないように思われるが、そこには客体をとらえる画家の位置や、独自の見かたや感情などが同時に示されているのであって、客体的表現を行うことが同時に主体的表現を伴うことになっている。近代絵画は特に主体的表現の面で新しい境地を開拓したものということもできる。すなわち客体的表現と主体的表現とが同一の画面に不可分に統一されていると見るべきものであって、それ自体において絵画として完成されているのである。額縁においてはじめて主体的表現が加えられるのではない。客体的表現と主体的表現とが分離して、それぞれ別個の形式をとって結びつけられるというのは、ほかならぬ言語表現の特殊性なのである。この言語表現の特殊性は、対象の感性的な束縛から脱して概念的な表現を行うところから規定されているのであるが、これはまた同時に言語表現の他の特殊性、すなわち言語規範による表現の媒介をももたらすこととなった。時枝が言語規範についての正しい理解を欠いていることと、言語の表現構造の特殊性を機械的に絵画のありかたに押しつけたこととは、無関係ではないのである***


* 『国語学への道』92〜4頁。あるとき直観的に事の真相をつかみながら、その重要なことを評価できず、数年後に古いノートなどを読み返したときそれと知って驚くという経験は、私自身にも何度かあった。ここの文章と『国語学への道』23頁の私案との関係もそのように理解すべきものであろう。

** 三浦つとむ弁証法はどういう科学か』(一九五五年)190頁以下、および板倉聖宣コペルニクスから何を学ぶか」(科学史研究一九五三年一一月27号)参照。これは弁証法でいうところの否定の否定であり、またこれらの事実はエンゲルスがカロリイク説の歴史的教訓を示しながら提出した科学史の論理についての定式、「最初の素朴な見かたは、通常後の時代の形而上学的な見かたよりもヨリ正しい。」(Die erste, naive Anschauung in der Regel richtger als die spätere, metaphysische.)を証明するものでもある。

*** 一九五四年ころ私の古い友人の尽力で某出版社と話がまとまり、時枝理論を体系的に批判訂正する一書を脱稿したが、出版社は約束を実行しなかった。友人の話によると、経営者は内容に危惧を抱いて彼に時枝を訪問させたが、ぜひ出版してほしいと逆に激励されたそうである。この原稿はのちに大衆的な構成と叙述に改められ、紙数も半分に圧縮されて世に出たが、その冒頭では「絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した表現の切りはなすことのできない統一体として考えるべきもの」(三浦つとむ『日本語はどういう言語か』一九五六年、19頁)だということが論じられている。

 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

 三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)