言語>言語本質論

ソシュール「言語学」とは何か(まとめ)

〔2006.12.15記〕 いわゆる「ソシュール言語学」が一般に知られるようになったのは、F. Saussure “Cours de linguistic générale” (Ch. Bally(バイイ), Alb. Sechehaye(セシュエ) 編 1916) によるものだろう。日本における「ソシュール言語学」の流布は小林…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(5)

〔2006.12.12記〕〔12.13追記〕 「時枝誠記の言語過程説」最後の論文を紹介する。 この論文の中で三浦は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)それぞれが互いに観念的自己分裂による追体験を通して直接に互いに他のものになるという現象を「対立物の相互浸透」と…

三浦つとむ「漢字と振り仮名」

〔2006.12.10記〕 三浦つとむの論考は私たちにとってごく身近なものごとを取り上げるときにも、論理的で筋が通っている。そして経験を通して蓄積された普通の人々の直観を裏切らない論理の曇りのなさがその魅力の一つだと私は思う。しかし、その内容は深いの…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(4)

〔2006.12.10記〕 以下に引用する三浦つとむの論文では観念的自己分裂について言及されている。観念的自己分裂論は言語過程説にとって根本的な柱となる理論であるから詳しくは三浦つとむの著書に当っていただきたい(『日本語はどういう言語か』(講談社学術文…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

〔2006.12.09記〕 ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2)

〔2006.12.08記〕 引き続き、三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」を紹介する。 「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房 p.186) 本質の追求と方法論の反省 学問の革命に共通してみられる二つの特徴を、われわれは時枝理論にも見出すことができ…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

〔2006.12.08記〕 ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえ…

ソシュール「言語学」とは何か(7)

〔2006.11.30記〕 メイリオ系フォントについて(1)(11/27)で、メイリオの文字の上下にある空隙(特に下部)が他のフォントに比べて大きいということについて書きました。そして、MeiryoKe_Gothic 系もこの空隙が他の通常のフォントよりもやや大きいということも…

ソシュール「言語学」とは何か(6)

〔2006.11.24記〕 『ソシュール講義録注解』の 76〜100ページは印欧語の知識がない私には理解するのがむずかしい。その上チェスのように単位(駒)がはじめからはっきりしているものを、その都度単位が発生するとソシュール自身がいっている「言語」の比喩とし…

ソシュール「言語学」とは何か(5)

〔2006.11.23記〕 さて、「そこにあるのは、思考−音が言語学の究極的単位としての諸区分を含んでいるという、どこか神秘的なこの事実である」(『ソシュール講義録注解』(p.59))として「言語」における単位の発生を説明してしまえば、ソシュールにとっては単…

ソシュール「言語学」とは何か(4)

〔2006.11.22記・同日一部修正/追記〕 前稿では「読む気はほとんど失せてしまっている」と書いた『ソシュール講義録』だが、気を取り直して前の方を読み返しつつ少しずつ読み進めている。 前稿に書いたように、ソシュールは「言語」(langue)を実践しつつ「言…

ソシュール「言語学」とは何か(3)

〔2006.11.21記〕 前稿「ソシュール「言語学」とは何か(2)」で書いたようにソシュールの「言語langue」は矛盾した存在である。「言語langue」は時間的・地理的に限定された一定の地域における一つの制度として規定される。それは静的(statique)なものであり…

ソシュール「言語学」とは何か(2)

〔2006.11.20記・11.21一部修正〕 正直言って『ソシュール講義録』を読む気はほとんど失せてしまっている。ソシュール「言語学」とは何か(1)(11.10) に書いたことからも分かるようにソシュールにとって「言語langue」とは外部から遮断され閉じてしまった円環…

ソシュール「言語学」とは何か(1)

〔2006.11.10記〕 『ソシュール講義録』はまだ四分の一ほどしか読み進めていない。できる限りソシュールの立場に立って読もうと思っているのだが苦痛の方が先立って読む気が失せるのである。それでも何とか読もうと努力をするのはソシュールの「言語学lingui…

ことばとは何か(2)――時枝誠記の言語観

〔2006.11.06〕 素朴な直観は存外に真理を言い当てているものである。古来、ごく普通の人々が現に話されている言語音声を〈ことば〉あるいは〈言語〉であると考えていたことは、多くの言語において〈ことば〉や〈言語〉を表わす語が「口」や「舌」を表わす語…