三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(3)

〔2006.12.09記〕 ことば=言語は現実に個々の人間が使っている話し言葉であり書き言葉であり、あるいは手話や点字等々であり、物理的・物質的形態で目の前に厳然と存在するものである。そしてこれら以外にことば=言語といえるものはない。それゆえ言語学の…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(2)

〔2006.12.08記〕 引き続き、三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」を紹介する。 「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』勁草書房 p.186) 本質の追求と方法論の反省 学問の革命に共通してみられる二つの特徴を、われわれは時枝理論にも見出すことができ…

三浦つとむ「時枝誠記の言語過程説」(1)

〔2006.12.08記〕 ソシュール「言語学」についてはいずれ簡単なまとめのようなものを書こうと思っているが、形而上学的な論理にすっかりあてられてしまったので、頭をすっきりさせ暗闇から復帰するために、現実に根を張った学問研究を貫いた時枝誠記(ときえ…

Rapture 1.3.0

〔2006.12.02記・12.03追記〕 ちょっと便利で使い勝手のよいフリーソフトを見つけました。 デスクトップの任意の範囲を画像としてキャプチャし、それを付箋化(ウィンドウ化)して好きな位置に置いておける。つまり「デスクトップキャプチャ」です。デフォルト…

メイリオ系フォントについて(2)

〔2006.11.30記〕 メイリオ系フォントについて(1)(11/27)で、メイリオの文字の上下にある空隙(特に下部)が他のフォントに比べて大きいということについて書きました。そして、MeiryoKe_Gothic 系もこの空隙が他の通常のフォントよりもやや大きいということも…

ソシュール「言語学」とは何か(7)

〔2006.11.30記〕 メイリオ系フォントについて(1)(11/27)で、メイリオの文字の上下にある空隙(特に下部)が他のフォントに比べて大きいということについて書きました。そして、MeiryoKe_Gothic 系もこの空隙が他の通常のフォントよりもやや大きいということも…

メイリオ系フォントについて(1)

〔2006.11.27記〕 以前『濫觴』に「ブラウザでメイリオを使うと、バックグラウンド・カラー付きの語のバランスが悪い(背景色が文字の上下に拡がってしまう)」ということを書きました。さらに、MeiryoKe_Gothic を生成するパッチが置いてあるmeirを読むと「…

ちょっとボヤいてみる

〔2006.11.25記〕 以下は愚痴である。 ソシュールの講義のような難解な言語に出会うと、つくづく「言語で分節されることによって思想は分明になる」などという御託の虚しさを感じる。いかに語概念⇔語韻の体系を身につけていようともソシュールの言語表現の内…

ソシュール「言語学」とは何か(6)

〔2006.11.24記〕 『ソシュール講義録注解』の 76〜100ページは印欧語の知識がない私には理解するのがむずかしい。その上チェスのように単位(駒)がはじめからはっきりしているものを、その都度単位が発生するとソシュール自身がいっている「言語」の比喩とし…

ソシュール「言語学」とは何か(5)

〔2006.11.23記〕 さて、「そこにあるのは、思考−音が言語学の究極的単位としての諸区分を含んでいるという、どこか神秘的なこの事実である」(『ソシュール講義録注解』(p.59))として「言語」における単位の発生を説明してしまえば、ソシュールにとっては単…

ソシュール「言語学」とは何か(4)

〔2006.11.22記・同日一部修正/追記〕 前稿では「読む気はほとんど失せてしまっている」と書いた『ソシュール講義録』だが、気を取り直して前の方を読み返しつつ少しずつ読み進めている。 前稿に書いたように、ソシュールは「言語」(langue)を実践しつつ「言…

ソシュール「言語学」とは何か(3)

〔2006.11.21記〕 前稿「ソシュール「言語学」とは何か(2)」で書いたようにソシュールの「言語langue」は矛盾した存在である。「言語langue」は時間的・地理的に限定された一定の地域における一つの制度として規定される。それは静的(statique)なものであり…

ソシュール「言語学」とは何か(2)

〔2006.11.20記・11.21一部修正〕 正直言って『ソシュール講義録』を読む気はほとんど失せてしまっている。ソシュール「言語学」とは何か(1)(11.10) に書いたことからも分かるようにソシュールにとって「言語langue」とは外部から遮断され閉じてしまった円環…

WindowsXP のシステム・フォントを変更する

〔2006.11.15記・11.17追記〕〔12.27一部訂正←重要〕 前々稿「WindowsXP とメイリオ・フォント――補足」(2006.11.13) のように「デザインの詳細」で画面表示用のフォントを変更しても MS のアプリやシステム・プログラム等では小さな文字が細めの不格好なフォ…

Firefox 1.50.8

〔2006.11.15記・11.17追記〕〔12.27一部訂正〕 前々稿「WindowsXP とメイリオ・フォント――補足」(2006.11.13) のように「デザインの詳細」で画面表示用のフォントを変更しても MS のアプリやシステム・プログラム等では小さな文字が細めの不格好なフォント…

WindowsXP とメイリオ・フォント――補足

〔2006.11.13記〕 前稿の「WindowsXP とメイリオ・フォント」に対して同じ FC2ブログ『続・何言ってんだおめ?』の「メイリオは嫌いって言いましたけど 」(2006/11/12) というエントリーからトラックバックをいただきました。ところで、このブログのインフォ…

WindowsXP とメイリオ・フォント

〔2006.11.11記・11.13追記・11.20,21・画像追加〕 この稿の話題は、WindowsXP 環境で、かつ液晶ディスプレイを使用している人にしか関係のないものです。つまり、『濫觴(らんしょう)』掲示板の「Re:お久しぶりです。」で取り上げている話題――WindowsXPで…

ソシュール「言語学」とは何か(1)

〔2006.11.10記〕 『ソシュール講義録』はまだ四分の一ほどしか読み進めていない。できる限りソシュールの立場に立って読もうと思っているのだが苦痛の方が先立って読む気が失せるのである。それでも何とか読もうと努力をするのはソシュールの「言語学lingui…

ことばとは何か(2)――時枝誠記の言語観

〔2006.11.06〕 素朴な直観は存外に真理を言い当てているものである。古来、ごく普通の人々が現に話されている言語音声を〈ことば〉あるいは〈言語〉であると考えていたことは、多くの言語において〈ことば〉や〈言語〉を表わす語が「口」や「舌」を表わす語…

前田英樹訳『ソシュール講義録注解』

〔2006.11.04記〕 相原奈津江・秋津伶訳の『一般言語学第三回講義』を読んで、ソシュールのいう「価値」がどういうものであるかはなんとなく理解できた。ソシュールの「言語langue」が言語規範と内言とを包括する意識内における言語活動全般を指しているらし…

FC2ブログ、登録100万サイトを突破

〔2006.11.01記・11.22追記〕 2004年10月に運用を開始した FC2ブログはブログ界では最後発ともいえますが、この 10月28日に登録サイトが100万を突破したようです。私が FC2ブログユーザーになったのは昨年の 1月26日。これでも FC2ブログでは早い方(サイト…

「内語」「内言・思考言語」の再規定

〔2006.10.23記〕 「ソシュール言語学には個別概念が存在している?」(2006.09.09)で書いたように、いわゆる「思考言語」(内言語)は言語規範としてのラングではない。それは 個別概念⇔語音像 という連合が時間的・一次元的に連鎖したものであって「シーニュ*…

〔メモ〕ラングの特殊性とパロールの普遍性――個別概念

〔2006.10.18記・10.19修正/追記〕 ラングが社会的であるのと同様にパロールは社会的である。そして、パロールが個人的であるのと同じ地平においてラングも個人的である。エクリチュールもまた同様に、社会的であると同時に個人的なものである。それは個人の…

古田武彦の仮説

〔2006.10.17記〕 以前古田武彦をご紹介したときに、『自由のための「不定期便」』(たっちゃん) に古代史に関する古田の仮説についてまとめたもの――「天皇制の基盤を撃つ―真説・古代史」――があることを書きました。しかし、古代史関係以外にもかなりの数の記…

『一般言語学第三回講義』を読んでいる

〔2006.10.17記〕 第一部は、ソシュール以前の言語学についての冒頭部の粗描を除けば、 あとは主として諸社会における言語――言語音・語音という側面から見た――の時間的・空間的(地理的)な変化についての考察である。ここでは比較言語学を修め、諸言語にわ…

ソシュール『一般言語学第三回講義』を読み始めた

〔2006.10.15記〕 ようやく『一般言語学第三回講義』が届いた。まだ第一部を読んでいるところ。ソシュールの講義を聴講した学生コンスタンタンのノートをかなり忠実に再現したもののようなので、構成が整っているとはいいがたいし、記述が断片的なのは仕方が…

ソシュールのいう「価値」(雑文)

〔2006.10.05記〕 ソシュールのいう「価値 valeur」のことを考えていた。というより『一般言語学講義』第II編「共時言語学」第3章「同一性、実在、価値」と第4章「言語価値」を読み返しているのであるが…。もともと私の頭は抽象的な思考向きにはできていな…

表現・受容過程と販売・購買過程のアナロジー

〔2006.10.01記〕 前稿「貨幣の使用価値」でマルクスの引用をしているときに、川島正平さんの『言語過程説の研究』第四章の注で初めて目にした三浦つとむの論考のことを思い出した。それは『唯物弁証法の成立と歪曲』に収められた同題の論考である(同書は後…

貨幣の使用価値

〔2006.09.30記・同日追記〕 本筋ではないが、秀さんが 「意義」と「価値」−−語の意味 (2006年09月29日) の中で「貨幣そのものに使用価値がな」いと書いておられたので、前稿において私は注記の形で「貨幣はいつでもどこでも他の商品と交換できるという使用…

ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」

〔2006.09.29記・9.30修正〕 秀さんが 「意義」と「価値」−−語の意味 (2006年09月29日) というエントリーでソシュールのいう語の「意義」と「価値」について書いている。 『一般言語学講義』(p.162)でソシュールが「フランス語の mouton と英語の sheep とは…