南半球における月の満ち欠け

〔2007.01.13記〕〔01.15注を追加〕

更新をしばらく休んでいるときに、鏡像における左右反転という現象について(2006/08/23) に対して山本教仁(qog)さんという方からトラックバックを頂きました(1/7)。 "左右"という概念:南半球での月の満ち欠け(『デミウルゴスの轡銜(ヒカン)』)

日本では月は右側が満ち欠けするように見えるのに対して、南半球のオーストラリアでは左側が満ち欠けするように見えることを、山本さんは地球における東西方向の絶対性と左右方向の相対性という観点から短い文章で的確に分析しておられます。

喩えていえば、南半球で見る月は北半球で見る月の満ち欠けの鏡像のように見えるともいえます(実際は鏡像ではありません。山本さんのおっしゃるように月が対称な形をしていることから起こる錯覚です)。このことは東西方向の絶対性と左右方向の相対性という観点から見れば、「各半球における月の満ち欠けの見え方」と「物と鏡像との関係」とが共通した性格のものであるということを示しています。

つまり、鏡像では前後が反転する(裏返しの像になる)ためにそれにともなって左右も反転しているように見える(実際は反転していない。人間の身体の対称性がそのような錯覚をもたらす――鏡像の立場から見た感覚、つまり観念的自己分裂に媒介された錯覚)のですが、月の満ち欠けに関しては、北半球では観測者は南を向いているのに対して南半球では観測者は北を向いているため、北半球と南半球とでは観測者の前後の向きが反転した形になり、そのために左右も反転する(これは錯覚ではない)というわけですね。

下の(1)は『こよみのページ』というサイトの月齢カレンダーというページに載っている今月の月(標準時正午)の画像ですが、これは日本において南を向いて南中する月を見たときの月の見え方を示しています(厳密にいうと南中時刻と正午との時間差だけ月齢に差が出るのでそれにともなって満ち欠けの具合も図とはやや違ってきますが…)。この画像の上下を反転したものが(2)です。こちらは南半球において北を向いて北中(正中)する月を見たときの月の見え方を示しています。ちなみに日本においても北を向いてのけぞるような姿勢で南中(正中)する月を見れば(2)のような形に見えるはずです(私はやったことがありませんが…)。あるいは南を向いて逆立ちして空を見ても左右が反転した月が見えるはずです(これもやったことはありませんが)。

(1)  (2)

結局のところ、地球の自転の向きを東と決めていますから、北半球でも南半球でも極点以外の場所では天体は東から昇って西に沈むことに変わりはありませんが、太陽や月はほぼ天の赤道上を移動して見えるため(地軸の傾きによりある範囲で変動する)太陽や月を観察するときに北半球(赤道〜北回帰線付近を除く)では南を向くのに対して南半球(赤道〜南回帰線付近を除く)では北を向くことになり、それにともなって観察する人間から見て東西の方角が左右逆転するわけです(月や太陽その他の天体の見た目の上下も逆転する)。したがって、北半球で南を向いて観察する人には太陽や月は左から右に向かって進むように見え、南半球で北を向いて観察する人にはそれとは反対に逆立ちして右から左に進むように見えます。しかし北半球でも北を向いて天頂〜北極星までの天体の動きを観察すれば右から左に移動しているように見えます(北極星を中心に左回りに動いて見える)。このように、太陽や月・星の動きを観察すると、左右という観念が前後関係にしばられた相対的な方向概念であることがよく分かります。

ところで、地球の自転周期は24時間であり、月の公転周期はおよそ29.5日であるため月の出(南中・入り)は1日に約49分ずつ遅れていきます(24時÷29.5日×60分/時≒49分/日*)。このずれが地球から見た太陽と月との位置関係の変化をもたらし、それによって月が満ち欠けして見える原因なのですが、それでは新月(朔)から満月(望)までの間の月を上弦、満月(望)から新月(朔)までの間の月を下弦と呼ぶのはなぜなのでしょうか(狭い意味では月齢7.5程度の半月を上弦、月齢22あたりの半月を下弦というようですが)。それは前者が太陽よりも相対的に遅れて出る、つまり太陽を追いかけるように空を進むのに対して、後者は太陽よりも相対的に先に出る、つまり太陽に追いかけられるように進むことから、西の空に沈むとき前者(上弦の月)は(下から太陽に照らされて)上側に弦が来る形になるのに対して、後者(下弦の月)は(上から太陽に照らされて)下側に弦が来る形になるためです。

つまり、上弦・下弦という呼び名は月が西の空に沈んでいくときの弦の位置を示しているわけですから、南半球でも北半球と同じ位置(地平線から見て上か下か)に弦が見えます。したがって北半球で上弦の月が見えるときには当然南半球でも上弦の月です(ただし上下逆さまに見えているため上記のように左右が逆転しています)。また自明のことですが東の空から昇るときの上弦の月は弦の位置が下側になっていますし、下弦の月は弦を上にして東の空から昇ります。なお、狭義の上弦の月が昇ってくるのは正午ごろですから肉眼でははっきりと見えません。(狭義の)上弦の月は日没時には南(南半球では北)の空にあって真夜中に西の空に沈みます。そして、狭義の下弦の月が昇るのは真夜中で、翌日の朝から昼までは南(南半球では北)の空から西の空に向かって進む有明の月(残月)として観察され、正午ごろに西の空に沈む姿が見られます。

ここまで書いて上記『こよみのページ』をよく探してみると暦と天文の雑学の中に上弦の月と下弦の月はどう見える?というのがあって、分かりやすい図まで載っていますね。この『こよみのページ』には他にも面白い話がたくさん載っていますね。あとでゆっくり読むことにします。と、思ってちょっと見たらなんと月の見え方・北半球と南半球なんていうのもあるではないですか! ふ〜む…。


* この計算には説明が必要かもしれません。

地球の自転は北極方向=天の北極から見て左回り(東に向かう)で周期は24時間、月の公転はやはり左回りで周期は約29.5日です。月や星や太陽などの天体は地球の自転のために相対的な運動として西に向かって地球を1日に1周するように見えます。恒星は地球からかなり遠いところにありますので1日あたりの運動はこのように考えて大丈夫ですし、太陽も地球がそのまわりを公転するのに一年かかりますので1日あたりの運動はそのように考えて差支えありません。しかし月は地球のすぐ近くをしかも地球の周りを公転しているのでその1日あたりの公転運動は無視できる大きさではありません。地球が東向きに1日に1回転する間に月はその29.5分の1回転分だけ東に動いています。つまり月の西向きの動きは1日に29.5分の1回転分だけ他の星や太陽よりも遅れるということです。この29.5分の1回転分の遅れを時間に換算するには、地球が1回転するのにかかる時間=24時間 に29.5分の1をかければいいわけです。そして時を分に換算するための計算をこれにつけ加えれば(単位も考慮して) 24時÷29.5日×60分/時≒49分/日 となるわけです。

(01.16追記) 地球の自転は、南極方向=天の南極から見ると右回り(東に向かう)なんですね。地球儀を逆さにして東方向に回転させてみればよく分かります。世界地図を逆さにして南が上になるようにして見ると世界がまったく違ったものに見えます。コメント欄で nonbirikurasu さんがお書きになっているように、南半球で見るオリオンなどの星座もこれと同じで逆さに見えるから、最初のうちは違和感があるでしょうね。私は中学生の頃から星に興味があって星座早見盤を手に仰ぎ見るようにして天頂方向を見ると、北を向いたときと南を向いたとき(あるいは東を向いたときと西を向いたとき)とでは星座の上下左右が逆になることを経験的に知っているのでそれほど違和感はありません。これとは反対に秋の代表的な星座ペガサスは北半球(日本付近)では南を向いて見上げると天頂よりもやや南寄りの空を足を上にして逆さに走っているように見えますが、南半球で北を向いてペガサスを見れば地平線の上を足を下にして優雅に天翔ける姿を(想像して)見ることができるはずです。北半球でそれを見るためには北を向いてのけぞるようにして見なければなりません。

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