古田武彦


ことばの不思議さにはずっと興味を持っていた。二十代半ば頃に池袋の東口にある古本屋で見つけた『日本語はどういう言語か』が三浦つとむとのはじめての出会いであった。目から鱗が落ちる思いがした。長い間抱いていたことばについての不思議が解明されていた。難しい概念もたくさんあってちゃんと理解できたという自信はなかったが、観念的自己分裂の理論には魅了されたといってもいい。なぜならそこに書いてあることは私自身の頭の中で常に継起している頭脳活動の妙なる働きだったからである。三浦とのつきあいはそこでしばらく途絶えたが、『日本語はどういう言語か』を読んで身につけた言語論と観念的自己分裂の理論は私の無意識のうちに定着してその後ずっと私の思考の武器となった。

三十代に入って間もなく同じ古本屋で『認識と言語の理論』の第一部と第二部とを手に入れた。これはそう簡単に理解できるような生易しい本ではなかった。その後今日に至るまでこの二冊は何度も何度も読み返しているが、その度にあたらしい認識が深まる思いがする、そんな本である。

それと時を同じくして読んだのが古田武彦の『邪馬台国はなかった』(角川文庫)であった。古代史の世界の通説では「卑弥乎」の統べていた国の名は「邪馬台国」すなわち「邪馬臺国」ということになっている。しかし古田が徹底的に調べた結果、中国の史書三国志』中の『魏書』(いわゆる『魏志倭人伝』を含むもの)の写本には「邪馬臺国」という記載はないというのである。それではどう書いてあるかといえば「邪馬」ではなく「邪馬」だという。「壹」は「壱」つまり「一」のことであるから、卑弥乎の国は「邪馬一国」だというのである。「邪馬一」では大和(やまと)とのつながりを類推できないから「壹」は「臺」の誤りであろうというのが日本の古代史学会の苦しい解釈であったという。

以下詳しい内容についてはたっちゃんさんのブログ『自由のための「不定期便」』にゆずる(ちょっと読みにくいのでたっちゃんさんのHPの「目次」から「天皇制の基盤を撃つ―真説・古代史」(1)〜(9)をたどる方がよいかも知れない)が、この書にも私は目から鱗が落ちる思いがした。その後、古田武彦の本を何冊か読んだがしっかりした論証性の高いものが多く、古代史に関しては私は古田学説の立場を通説よりもより客観性のあるものと考えている。

古田学説については『新・古代学の扉』という古田史学の会のサイトを読めばある程度の概要はつかめるはずである。